契沖の文献考証と師・賀茂真淵の古道説を継承し、 国学の発展に多大な貢献をしたことで知られる。 本居宣長は、 賀茂真淵の励ましを受けて『古事記』の研究に取り組み、 約35年を費やして当時の『古事記』研究の集大成である注釈書『古事記伝』を著した。
『古事記伝』の成果は、 当時の人々に衝撃的に受け入れられ、 一般には正史である『日本書紀』を講読する際の副読本としての位置づけであった『古事記』が、 独自の価値を持った史書としての評価を獲得していく契機となった。
本居宣長は、 『源氏物語』の中にみられる「もののあはれ」という日本固有の情緒こそ文学の本質であると提唱し、 大昔から脈々と伝わる自然情緒や精神を第一義とし、 外来的な儒教の教え(「漢意」)を自然に背く考えであると非難し、 中華文明を参考にして取り入れる荻生徂徠を批判したとされる。
また、 本居宣長は、 紀州徳川家に贈られた「玉くしげ別本」の中で, 「定りは宜しくても、其法を守るとして、却て軽々しく人をころす事あり、よくよく慎むべし。たとひ少々法にはづるる事ありとも、ともかく情実をよく勘へて軽むる方は難なかるべし」とその背景事情を勘案して厳しく死刑を適用しないように勧めている。
本居宣長の代表作には、 前述の『古事記伝』のほか、 『源氏物語』の注解『源氏物語玉の小櫛』、 そして『玉勝間』、 『馭戒慨言(ぎょじゅうがいげん)』などがある。
門下生も数多く『授業門人姓名録』には、
本居宣長自筆本に45名、他筆本には489名が記載れている。
主な門人として田中道麿、服部中庸・石塚龍麿・夏目甕麿・長瀬真幸・藤井高尚・高林方朗(みちあきら)・小国重年・竹村尚規・横井千秋・代官の村田七右衛門(橋彦)春門父子・神主の坂倉茂樹・一見直樹・倉田実樹・白子昌平・植松有信・肥後の国、山鹿の天目一神社神官・帆足長秋・帆足京(みさと)父子・飛騨高山の田中大秀・本居春庭(宣長の実子)・本居大平(宣長の養子)などがいる。