ヤマトタケルは、
『記紀
』などに伝わる古代日本の皇族(王族)。
『
日本書紀』では主に「日本武尊」、
『
古事記』では主に「倭建命」と表記され、
どちらも「やまとたけるのみこと」と読む。
現在漢字表記する場合には、「日本武尊」の表記が一般的である。
第12代
景行天皇皇子で、
第14代
仲哀天皇の父にあたる。
熊襲征討・東国征討を行ったとされる古代日本史上の伝説的英雄である。
日本武尊は、
景行天皇と
播磨稲日大郎姫の間に双子として生まれ、
兄は大碓皇子(おおうすのみこ)、
弟は小碓尊(おうすのみこと)と名付けられた。
この双子の弟・小碓尊が、
のちに日本武尊と名乗るようになる。
小碓尊は成長すると見た目も良く立派で、
一丈(約3メートル)もの長身で大変な力持ちとなった。
『日本書紀』・『古事記』・『先代旧事本紀』とも、
本の名は「ヲウス(オウス)」、
亦の名は「ヤマトヲグナ(ヤマトオグナ)」で、
のちに「ヤマトタケル」を称したとする。
それぞれ表記は次の通り。
- 『日本書紀』・『先代旧事本紀』
-
- 本の名:小碓尊(おうすのみこと)、小碓王(おうすのみこ)
- 亦の名:日本童男(やまとおぐな)
- のちの名:日本武尊(やまとたけるのみこと)、日本武皇子(やまとたけるのみこ)
- 『古事記』
-
- 本の名:小碓命(おうすのみこと)
- 亦の名:倭男具那命(やまとおぐなのみこと)、倭男具那王(やまとおぐなのみこ)
- のちの名:倭建命(やまとたけるのみこと)、倭建御子(やまとたけるのみこ)
「ヲウス(小碓)」の名称について『日本書紀』では、
双子(大碓命・小碓尊)として生まれた際に、
天皇が怪しんで臼(うす)に向かって叫んだことによるとする。
「ヲグナ(童男/男具那)」は未婚の男子の意味。
「ヤマトタケル」の名称は、
川上梟帥(または熊曾建)の征討時に捧げられた(後述)。
「尊」の用字は皇位継承者と目される人物に使用されるもので、
『日本書紀』での表記は同書上でヤマトタケルがそのように位置づけられたことによる。
文献で見えるその他の表記は次の通り。
- 倭武命 - 『日本三代実録』
- 倭武尊 - 『古語拾遺』
- 倭建尊 - 『新撰姓氏録』
- 日本武命 - 『尾張国風土記』逸文、『古語拾遺』
- 倭武天皇 - 『常陸国風土記』
- 倭建天皇 - 『常陸国風土記』
- 倭健天皇命 - 『阿波国風土記』逸文
なお、「武」・「建」の訓については「タケル」ではなく「タケ」とする説がある。
その中で、「タケル」は野蛮を表現する語であり、尊号に用いられる言葉ではないと指摘される。