小窓
日本武尊(やまとたけるのみこと)

作成日:2021/5/18

日本武尊
やまとたけるのみこと
生年  西暦82年
      景行天皇12年)
没年  西暦111年
      景行天皇41年)
本の名 小碓尊/小碓命
亦の名 日本童男/倭男具那命
子女  仲哀天皇 ほか
父親  景行天皇
母親  播磨稲日大郎姫
配偶者 両道入姫皇女 ほか
子女  仲哀天皇 ほか
 
ヤマトタケルは、 『記紀』などに伝わる古代日本の皇族(王族)。
日本書紀』では主に「日本武尊」、 『古事記』では主に「倭建命」と表記され、 どちらも「やまとたけるのみこと」と読む。
現在漢字表記する場合には、「日本武尊」の表記が一般的である。

第12代景行天皇皇子で、 第14代仲哀天皇の父にあたる。

熊襲征討・東国征討を行ったとされる古代日本史上の伝説的英雄である。

日本武尊は、 景行天皇と播磨稲日大郎姫の間に双子として生まれ、 兄は大碓皇子(おおうすのみこ)、 弟は小碓尊(おうすのみこと)と名付けられた。 この双子の弟・小碓尊が、 のちに日本武尊と名乗るようになる。
小碓尊は成長すると見た目も良く立派で、 一丈(約3メートル)もの長身で大変な力持ちとなった。

名称

『日本書紀』・『古事記』・『先代旧事本紀』とも、 本の名は「ヲウス(オウス)」、 亦の名は「ヤマトヲグナ(ヤマトオグナ)」で、 のちに「ヤマトタケル」を称したとする。
それぞれ表記は次の通り。

『日本書紀』・『先代旧事本紀
  • 本の名:小碓尊(おうすのみこと)、小碓王(おうすのみこ)
  • 亦の名:日本童男(やまとおぐな)
  • のちの名:日本武尊(やまとたけるのみこと)、日本武皇子(やまとたけるのみこ)
『古事記』
  • 本の名:小碓命(おうすのみこと)
  • 亦の名:倭男具那命(やまとおぐなのみこと)、倭男具那王(やまとおぐなのみこ)
  • のちの名:倭建命(やまとたけるのみこと)、倭建御子(やまとたけるのみこ)
「ヲウス(小碓)」の名称について『日本書紀』では、 双子(大碓命・小碓尊)として生まれた際に、 天皇が怪しんで臼(うす)に向かって叫んだことによるとする。
「ヲグナ(童男/男具那)」は未婚の男子の意味。
「ヤマトタケル」の名称は、 川上梟帥(または熊曾建)の征討時に捧げられた(後述)。
「尊」の用字は皇位継承者と目される人物に使用されるもので、 『日本書紀』での表記は同書上でヤマトタケルがそのように位置づけられたことによる。
文献で見えるその他の表記は次の通り。

なお、「武」・「建」の訓については「タケル」ではなく「タケ」とする説がある。
その中で、「タケル」は野蛮を表現する語であり、尊号に用いられる言葉ではないと指摘される。

系譜

父母
父:景行天皇。   母:景行天皇皇后の播磨稲日大郎姫
  • 『日本書紀』・『先代旧事本紀』では第二皇子とし、 同母兄は大碓皇子のみで双子の兄とする。
  • 『古事記』では第三皇子とし、 同母兄を櫛角別王・大碓皇子(双子の記載はない)、 同母弟を倭根子命・神櫛王とする。
妃:両道入姫皇女/布多遅能伊理毘売命(ふたじいりびめのひめみこ)。垂仁天皇皇女(記)。
  • 稲依別王(いなよりわけのみこ)。『古事記』では母は別人。
    • 犬上君・武部君(建部君)の祖(『記紀』による)。
  • 足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)/帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと)。のちの代仲哀天皇
  • 布忍入姫命(ぬのしいりびめのみこと)。『古事記』に記載なし。
  • 稚武王(わかたけるのみこ)。『古事記』に記載なし。
妃:吉備穴戸武媛/大吉備建比売(きびのあなとのたけひめ)。吉備武彦の娘『日本書紀』、吉備臣建日子の妹『古事記』。
  • 武卵王/建貝児王(たけかいごのみこ)
    • 讃岐綾君の祖(記紀)、登袁之別・麻佐首・宮道之君らの祖(記)。
  • 十城別王(とおきわけのみこ)。『古事記』に記載なし。
弟橘媛/(おとたちばなひめ)。穂積氏の忍山宿禰の娘『日本書紀』。9男を生む『先代旧事本紀』。
  • 稚武彦王/若建王(わかたけひこのみこ)
    • 須売伊呂大中日子の父、迦具漏比売(応神天皇の妃)の祖父。
妃:山代之玖々麻毛理比売(やましろのくくまもりひめ)『日本書紀』に記載なし
  • 足鏡別王/蘆髪蒲見別王/葦噉竈見別王(あしかがみわけのみこ)
    • 鎌倉別・小津石代之別・漁田之別の祖(記)。
妃:布多遅比売(ふたじひめ、紀なし) - 淡海安国造の祖の意富多牟和気の娘(記)。
  • 稲依別王(いなよりわけのみこ)。『日本書紀』の記載では母は別。
    • 両道入姫皇女の所生とする紀とは異同。
妻(記では名は不詳、旧事本紀では橘媛)
  • 息長田別王(おきながたわけのみこ)『日本書紀』に記載なし)
    • 河派仲彦王の父、息長真若中比売(応神天皇の妃)の祖父、稚野毛二派皇子の曽祖父、忍坂大中姫・衣通姫の高祖父。阿波君らの祖『先代旧事本紀』。
宮簀媛/美夜受比売(みやずひめ)
系譜には記されず、物語にのみ記される配偶者。尾張氏の娘。子は無し。
古事記』では、 倭建命の曾孫(ひまご)の迦具漏比売命が景行天皇の妃となって大江王(彦人大兄)をもうけるとするなど矛盾があり、 このことから景行天皇とヤマトタケルの親子関係に否定的な説がある。
また、各地へ征討に出る雄略天皇などと似た事績があることから、 4世紀から7世紀ごろの数人のヤマトの英雄を統合した架空の人物という説もある。