古事記上巻1(序并)
作成日:2019/8/11
要約部
【原文】要約部
臣安萬侶言 夫 混元既凝 氣象未效
無名無爲 誰知其形 然 乾坤初分 參神作造化之首 陰陽斯開 二靈爲群品之祖
所以 出入幽顯 日月彰於洗目 浮沈海水 神祇呈於滌身
故 太素杳冥 因本教而識孕土產嶋之時 元始綿邈 頼先聖而察生神立人之世
寔知 懸鏡吐珠而百王相續 喫劒切蛇 以萬神蕃息與 議安河而平天下 論小濱而淸國土
是以 番仁岐命 初降于高千嶺 神倭天皇 經歷于秋津嶋 化熊出川 天劒獲於高倉 生尾遮徑 大烏導於吉野 列儛攘賊 聞歌伏仇
卽 覺夢而敬神祇 所以稱賢后 望烟而撫黎元 於今傳聖帝 定境開邦 制于近淡海 正姓撰氏 勒于遠飛鳥
雖 步驟各異文質不同 莫不稽古以繩風猷於既頽・照今以補典教於欲絶
【読み下し文】要約部
《臣安萬侶言 夫 混元既凝 氣象未效》:
臣安萬侶言、
夫、
混元
は既に
凝れど、
気象未だ
効さず。
《無名無爲 誰知其形 然 乾坤初分 參神作造化之首 陰陽斯開 二靈爲群品之祖》:
名無く
為無く、
誰も其の形を知らず。
然れども、
乾坤に初めて分かれ、
三神は
造化を
首に作り、
陰陽
斯
開
き、
二霊は
群品の
祖と
為る。
《所以 出入幽顯 日月彰於洗目 浮沈海水 神祇呈於滌身》:
所以
、
幽顕出で入り、
目を洗ふに[於]
日、月彰れ、海の水に浮き
沈りし、身を
滌ふに[於]
神祇呈る。
《故 太素杳冥 因本教而識孕土產嶋之時 元始綿邈 頼先聖而察生神立人之》:
故、
太素杳かに
冥く、
本の
教に因りて[而]
土を
孕み
嶋を産む[之]時を
識り、
元始綿かに
邈く、
先の
聖に頼りて[而]神を生まみ人を立てむ
世を
察る。
《寔知 懸鏡吐珠而百王相續 喫劒切蛇 以萬神蕃息與 議安河而平天下 論小濱而淸國土》:
寔に、鏡を
懸け珠を吐きて[而]百王
相続がむことを知り、
剣を喫み
蛇を切り、
万の神
蕃息ふを以ち、
安河に
議りて[而]
天下を平さむことに
与り、
小浜に
論ひて[而]
国土を清む。
《是以 番仁岐命 初降于高千嶺 神倭天皇 經歷于秋津嶋 化熊出川 天劒獲於高倉 生尾遮徑 大烏導於吉野 列儛攘賊 聞歌伏仇》:
是以、
番仁岐命、
初 高千の嶺に
降り、
神倭天皇、
秋津嶋を
経歴る。
化熊川に出で、
天剣高倉に[於]
獲、
尾の生ゆひと径を
遮げど、
大烏吉野に導く。
儛列り賊を
攘ひ、
歌を聞きて
仇を伏せす。
《卽 覺夢而敬神祇 所以稱賢后 望烟而撫黎元 於今傳聖帝 定境開邦 制于近淡海 正姓撰氏 勒于遠飛鳥》:
即ち、
夢に
覚て[而]
神祇を
敬ひ、
所
以ちて
賢后と
称へ、
煙を望みて[而]
黎元を
撫び、
今に伝ふる
聖帝、
境を定め
邦を開き
近淡海に
制め、
姓を正し
氏を
撰りしすめらみことは遠つ飛鳥に
勒む。
《雖 步驟各異文質不同 莫不稽古以繩風猷於既頽・照今以補典教於欲絶》:
歩 驟 各 異にし文質不同れ雖も、古 を稽へ、以ちて既に頽れしに[於]風猷を縄すこと、今に照らし以ちて、欲に絶へむとすに[於]典教を補ふこと 莫不。
【現代語訳】要約部
わたくし安萬侶(やすまろ)は、謹んで申し上げます。さて、宇宙が開闢(かいびゃく)し、間もなく混沌は固まりましたが、天地の営みはまだ始まりません。
まだ名前も行為も存在せず、形も知られません。しかるに、天地が初めて分かれ、3柱の神が造化の端緒となり、陰陽に切り分けられ、2体の霊が諸物の祖となりました。
かくして、黄泉と現世を出入りし、目を洗って日の神と月の神が彰れ、海に浮き沈みし、神祇が呈れました。
もとより、太素ははるかに遠く、本来の教えに因っててこそ国土を孕み、島を産んだ時を識り、元始はひさしく隔たり、先立つ聖人に頼って神を生み人を立てる世を察することができます。
これにより、鏡を掲げ珠を吐いたのを起源にあまたの王が相続することを知り、剣を噛み大蛇を切り、よろずの神がにぎやかに集まり、安河に議により天下を平定することに関与し、小浜で論を立て国土を浄化しました。
このようにして、
番能邇邇芸命は初めて高千穂の嶺に降り、
神倭天皇は秋津島を巡った。
ほのかに見え隠れする熊が川に現れ、
天の剣を高倉の土地で得、
尾を生やした人に遭い、大烏(八咫烏)が吉野に導いた。
舞に並び賊軍を撃退し、歌を聞き仇敵を屈服した。
:
すなわち、[神功皇后は]夢に見て神々を敬まわれことにより賢后と呼ばれ、
[仁徳天皇は]煙を眺め民衆を愛しみ、
今に伝わる聖帝[成務天皇]は、
国境を定め国を開き、近淡海で執政し、姓を正し氏を定めた[允恭]天皇は遠つ飛鳥で統治した。
進む速さはそれぞれ異なり、
文化の質は同じではないとしても、
過去を振り返り、
既に廃れてしまったことに対して気風や道理を正すこと、
現在に目を向け、
まさに途絶えようとすることに対して法規や教養を補うこと、
これらを怠ったことは決してなかった。
天武天皇
【原文】天武天皇
曁飛鳥淸原大宮御大八洲天皇御世
濳龍體元 洊雷應期 開夢歌而相纂業 投夜水而知承基
然 天時未臻 蝉蛻於南山 人事共給 虎步於東國
皇輿忽駕 淩渡山川 六師雷震 三軍電逝
杖矛擧威 猛士烟起 絳旗耀兵 凶徒瓦解
未移浹辰 氣沴自淸
乃 放牛息馬 愷悌歸於華夏 卷旌戢戈 儛詠停於都邑 歲次大梁 月踵夾鍾 淸原大宮 昇卽天位
道軼軒后 德跨周王 握乾符而摠六合 得天統而包八荒 乘二氣之正 齊五行之序 設神理以奬俗 敷英風以弘國
重加 智海浩汗 潭探上古 心鏡煒煌 明覩先代
【読み下し文】天武天皇
《曁飛鳥淸原大宮御大八洲天皇御世》:
飛鳥の
清原の
大宮にて
大八洲を
御
天皇
の
御世に
曁びて
《濳龍體元 洊雷應期 開夢歌而相纂業 投夜水而知承基》:
潜龍
元を体し、
洊雷応に期さむとす。
夢の歌を開きて
[而]纂りし業を相、
夜の水に投て
[而]基を承けむと知る。
《然 天時未臻 蝉蛻於南山 人事共給 虎步於東國》:
然、
天の時臻らず、
南の山に[於]蟬蛻け、
人の事共に
給はり、
東国に[於]虎歩む。
《皇輿忽駕 淩渡山川 六師雷震 三軍電逝》:
皇の
輿
忽ちに駕け、
山川を淩ぎ渡る。
六師雷震し三軍電逝す。
《杖矛擧威 猛士烟起 絳旗耀兵 凶徒瓦解》:
矛を杖り威を挙げ、猛き士 煙起、旗絳くして兵は耀き、凶徒瓦解。
《未移浹辰 氣沴自淸》:未だ浹辰を移さずして、気沴(き
れい)自ら清まりき。
《乃 放牛息馬 愷悌歸於華夏 卷旌戢戈 儛詠停於都邑 歲次大梁 月踵夾鍾 淸原大宮 昇卽天位》:
乃ち、放牛息馬し、愷悌華夏に歸り、旌を巻き戈を戢め、舞詠都邑に停む。歳大梁に次り、月夾鍾 に踵りて、清原の大宮にて昇りて天位に即(く。
《道軼軒后 德跨周王 握乾符而摠六合 得天統而包八荒 乘二氣之正 齊五行之序 設神理以奬俗 敷英風以弘國》:
道は軒后を軼へ、徳は周王を跨へり。
乾符を握りて[而]六合を摠べ、天統を得て[而]八荒を包り。二気之を正しきに乗り、五行之序に齊。神の理を設へ以ちて俗を奨め、英風を敷き以ちて国に弘む。
《重加 智海浩汗 潭探上古 心鏡煒煌 明覩先代》:
重加へ、智海は浩汗にして、上古を潭探、心鏡は 煒煌、先代を明覩。
【現代語訳】天武天皇
飛鳥浄御原宮にて全国を治められた[天武]天皇の時代に、
天子になろうとする御子(潜竜)は元(かしら)を体現し、今まさに雷光の時を迎えました。夢で聞いた歌の謎を解かれたところ、なすべき事業が次々と見え、夜の水に禊されたところ、重大な使命を承(う)けるべきだと知りなされました。
とは言え、天の時は未だ至らなかったので、南山[吉野山]に入り脱皮して蝉になるように天子となられ、人の勢い[軍勢]は大いに満ち、東国で虎となって歩まれました。
天皇の輿は直ちに馬をつなぎ、
山を越え川を渡り、六師団は雷を轟かせ、三軍は稲妻のように素早く進軍した。
矛を手にして威を高らかに示し、勇猛な士は狼煙に決起し、旗を赤々と掲げて武器を輝かせ、賊軍は瓦解しました。
すなわち牛を放ち馬を休ませ、そのおだやかさは都に戻り、旗を巻き武器を収納し、踊り舞い歌を詠み、京はくつろぎます。歳は大梁、月は夾鍾となり、浄御原の大宮に昇殿され、天皇に即位されました。
その道は軒后(黄帝)を超え、その徳は周王を越えていた。乾符を握り天地・四方を支配し、天統を得て八方を統治します。陰陽において順を正して拠り所とし、木火土金水において序を正して浄めます。神による理(ことわり)を明らかにして人民に奨められ、すぐれた気風を知らせ国中に広げられました。
さらに加えまして、智は海のように大いに湛えられ、その深みにはるか古い歴史を探り、心は鏡のように澄みきって輝き、その明るさに賢き先人の業績を見ることができました。
稗田阿礼
【原文】稗田阿礼
於是天皇詔之「朕聞 諸家之所賷帝紀及本辭 既違正實 多加虛僞 當今之時不改其失 未經幾年其旨欲滅
斯乃 邦家之經緯 王化之鴻基焉 故惟 撰錄帝紀 討覈舊辭 削僞定實 欲流後葉
時有舍人 姓稗田 名阿禮 年是廿八 爲人聰明 度目誦口 拂耳勒心
卽 勅語阿禮 令誦習帝皇日繼及先代舊辭 然 運移世異 未行其事矣
【読み下し文】稗田阿礼
《於是天皇詔之「朕聞 諸家之所賷帝紀及本辭 既違正實 多加虛僞 當今之時不改其失 未經幾年其旨欲滅》:
是に於いて天皇之を詔ぐ。「朕聞くに諸家之帝紀及び本辞を賷す所は、既に正実を違え、多きに虚偽加はる。
當し今の時に其れ失ふを改めざれば、幾年を経ずして其の旨欲に滅ばむとす。
《斯乃 邦家之經緯 王化之鴻基焉 故惟 撰錄帝紀 討覈舊辭 削僞定實 欲流後葉》:
斯乃ち、邦家之経緯にて、王化之鴻 基 焉。故惟ふに、帝紀を撰録、旧辞を討覈す。偽を削り実を定め、後葉に流さむと欲す。
《時有舍人 姓稗田 名阿禮 年是廿八 爲人聰明 度目誦口 拂耳勒心》:
時に舎人、姓を稗田名を阿礼とするもの有り。年是れ二十八。人聡明を為し、目に度り口に誦へ、耳を払ひ心に勒む。
《卽 勅語阿禮 令誦習帝皇日繼及先代舊辭 然 運移世異 未行其事矣》:
即ち阿礼に後を勅し、帝皇の日繼及び先代旧辞を誦習せ令む。然るに運りは移り世は異なり、未だ其の事行わざりき。
【現代語訳】稗田阿礼
ここに、天皇(すめらみこと)はこう詔げられました。「朕の聞くところでは、諸家に伝わる帝紀[帝の系譜]、本辞[言い伝え]は既に真実と違ってきており、多くは虚偽を加えられた。もし今この時、失われてしまうのを改めねば、何年も経たぬうちに、本当の内容が消滅してしまうであろう。
これすなわち、諸国の筋目であり、また王化の大いなる基本である。そこで、帝紀を整理記録し、旧辞を調査検討しようと思う。虚偽を削り真実を定め、後世に伝えたい。
そこにいたのが、姓を稗田、名を阿礼という仕え人でした。年齢は28歳でした。その人は聡明で、目を通して口で誦えれば、聞く者の耳に清らかに伝わり、心に刻みました。
そのような訳で、阿礼に勅し、天皇の系図と先人の言い伝えを詠み習うよう命じられました。けれども時が移り、世も変わり、未だそのことは行われませんでした。
元明天皇
【原文】元明天皇
伏惟 皇帝陛下 得一光宅 通三亭育
御紫宸而德被馬蹄之所極 坐玄扈而化照船頭之所逮 日浮重暉 雲散非烟
連柯幷穗之瑞 史不絶書 列烽重譯之貢 府無空月 可謂名高文命 德冠天乙矣
【読み下し文】元明天皇
《伏惟 皇帝陛下 得一光宅 通三亭育》:
伏して惟れ皇帝陛下は徳一にて光宅し、通三にて亭育す。
《御紫宸而德被馬蹄之所極 坐玄扈而化照船頭之所逮 日浮重暉 雲散非烟》:
紫宸に御し、而して徳は被馬蹄の極む所を被い、玄扈に坐し、而して化は船頭之逮ふ所を照らす。日は浮かび、重ねて暉き、雲は散り煙るに非り。
《連柯幷穗之瑞 史不絶書 列烽重譯之貢 府無空月 可謂名高文命 德冠天乙矣》:
連柯并穗之れ瑞し、史、書絶へず、列烽重訳之れ貢ぎ、府、空月無し。名は文命より高し、徳は天乙に冠すと謂ふ可き矣。
《》:
【現代語訳】元明天皇
皇帝[天皇]陛下は、得一にて光宅され[陛下お一人の徳を国に大きく広げられ]、通三にて亭育されます[天地人を貫く王道により深く養われます]こと、伏して拝察申し上げます。
紫宸に統べらしまして御徳は馬が駆けて行ける限りを覆い、
玄扈に坐しまして御風習は船を漕いで行ける限りを照らします。
日は浮かび輝きを増し、雲は消え霞むこともありません。
連理木、嘉禾(かか)は吉祥の兆しであり、
歴史書への記録は絶えることがありません。
また、国境いには烽火を並べ言葉の違う遠い国から貢物があり、
倉が空になる月はありません。
その高名は[夏朝を創始した]禹王を越え、
その徳は[殷朝を創始した]成湯を凌ぐと言ってよいほどであります。
解題
【原文】解題
於焉 惜舊辭之誤忤 正先紀之謬錯 以和銅四年九月十八日 詔臣安萬侶 撰錄稗田阿禮所誦之勅語舊辭 以獻上者謹隨詔旨
子細採摭 然 上古之時 言意並朴 敷文構句 於字卽難 已因訓述者 詞不逮心 全以音連者 事趣更長
是以今 或一句之中 交用音訓 或一事之內 全以訓錄 卽 辭理叵見 以注明 意況易解 更非注
亦 於姓日下謂玖沙訶 於名帶字謂多羅斯 如此之類 隨本不改
大抵所記者 自天地開闢始 以訖于小治田御世 故 天御中主神以下 日子波限建鵜草葺不合尊以前 爲上卷 神倭伊波禮毘古天皇以下 品陀御世以前 爲中卷
大雀皇帝以下 小治田大宮以前 爲下卷 幷錄三卷 謹以獻上 臣安萬侶 誠惶誠恐 頓首頓首
和銅五年正月廿八日 正五位上勳五等太朝臣安萬侶
【読み下し文】解題
《於焉 惜舊辭之誤忤 正先紀之謬錯 以和銅四年九月十八日 詔臣安萬侶 撰錄稗田阿禮所誦之勅語舊辭 以獻上者謹隨詔旨》:
焉に於いて、旧辞の誤忤を惜しみ、先紀の謬錯を正す。和銅四年九月十八日を以って、臣安万侶に、稗田阿礼所之の勅語されし旧辞を誦す所を撰録せむを詔す。以て献上するは、謹みて詔旨に随ふ。
《子細採摭 然 上古之時 言意並朴 敷文構句 於字卽難 已因訓述者 詞不逮心 全以音連者 事趣更長》:
子細に採摭す。然るに上古の時、言意並びて朴にて、文に敷き句に構ずは字に於いて即ち難し。已に訓に因りて述すは、詞心を逮へず。全て音を以って連ぬるは、事の趣更に長し。
《是以今 或一句之中 交用音訓 或一事之內 全以訓錄 卽 辭理叵見 以注明 意況易解 更非注》:
是を以って今、或ひは一句の中に音訓交に用ひ、或ひは一事の內に全て訓録を以す。即ち辞理見るに叵しは注を以て明らかとなし、意況解くに易しは更に注に非ず。
《亦 於姓日下謂玖沙訶 於名帶字謂多羅斯 如此之類 隨本不改》:
亦、姓「日下」に於いて、「玖沙訶」と謂ひ、名「帯」の字に於いて、「多羅斯」と謂ふ、此之類の如くにして、本に随ひ改め不。
《大抵所記者 自天地開闢始 以訖于小治田御世 故 天御中主神以下 日子波限建鵜草葺不合尊以前 爲上卷 神倭伊波禮毘古天皇以下 品陀御世以前 爲中卷》:
大抵記す所は、天地開闢自り始め、以って小墾田宮の御世于訖る。故に、天之御中主神の以下、
日子波限建鵜草葺不合尊の以前を上巻を為し、
神武天皇の以下、品陀の御世の以前、中巻を為し、
《大雀皇帝以下 小治田大宮以前 爲下卷 幷錄三卷 謹以獻上 臣安萬侶 誠惶誠恐 頓首頓首》:
大雀皇帝 以下、小墾田宮以前、下巻を為し、并て三卷に録し、謹しみ以って献上す。臣安万侶 誠惶誠恐 頓首頓首
《和銅五年正月廿八日 正五位上勳五等太朝臣安萬侶》:
和銅五年正月廿八日 正五位上勳五等太(おほの)朝臣(あそみ)安万侶(やすまろ)
【現代語訳】解題
そこで、旧辞、先紀の誤りや食い違いを惜しまれながら正されました。和同四年九月十八日に至り、わたくし安万侶に、稗田阿礼が先に詔された旧辞を読み上げるところを撰録するよう、詔されました。このたびこれによって献上しますは、謹んで御旨に従うところであります。
[稗田阿礼の言葉を]なるべくそのままを、細部まで記録しようと努めました。しかし、古い時代は、全体に今では使わなくなった言葉が使われ、文章化しようとして漢字を使うことは困難です。訓読みで記述してみましたが、うまく分かるようには表せませんでした。かといって全文音で書き連ねれば、長くなりすぎて困ります。
このようなわけで今、ある場合は、一つの区切りのなかに音読み、訓読みの両方を用い、ある場合は、一つの部分のうちに訓読みだけとします。そして、言葉の理解が困難な場合は注をつけて分かるようにし、語句の解釈が容易な場合は、全く注をつけないことにします。
また、姓「日下」に於いては「くさか」と読み、名「帯」に於いては「たらし」と読みます。これに類する場合は元のままに従い、改めないこととします。
全体として記録した範囲は、天地の開闢から、小墾田宮の時代までです。そのうち、天之御中主神から日子波限建鵜草葺不合尊までを上巻とし、神倭伊波礼毘古天皇[神武天皇]から品陀和気命(ほむたわけのみこと)[応神天皇]の時代までを中巻とし、
大雀皇帝 から小墾田宮までを下巻としました。併せて三巻に収録し、謹しんで献上いたします。臣 安万侶 誠惶誠恐頓首頓首[天皇への書簡形式における結語]
和銅五年正月二十八日 正五位上勳五等太朝臣安万侶