中国神話とは、中国に伝わる神話のこと。
主に漢民族に伝わるが、他の少数民族の伝説も含まれる。
中国神話に関する、公開されている記事の、冒頭部分をいくつかあげておく。
冒頭部からの続き。
たとえば、三皇五帝に数えられている伏羲や女媧(じょか)は本来人頭蛇身であり、
このような奇異な姿は漢代以降においても壁画やその他におもかげをとどめている。
有徳のため帝王に就任した聖天子と、
その怪異な形姿との間に認められるこの矛盾は、
元来神話的存在であったものが作為的に改変されたことを示唆している。
中国は、 インドやギリシャなどとともに世界最古の文明を開化させた栄誉を有しながら、 こと神話に関する限り、 それらの古代文明世界に比肩しうるような遺産を残していない。
それは、 おもに神話伝承の記録化に対する当時の知識人たちの価値観のありようによっている。
古代中国では、
文筆をとることのできた諸子百家などの限られた数の知識層の関心は、
もっぱら治国という現実問題に向けられていた。
また、
特にその時代が春秋戦国期という激動の時代にあたっていたため、
彼らにとっては治世こそが最大の課題であった。
したがって、
神話伝承すらも現実性を帯び、
彼らの主義・主張に都合のよいように過去の事実として採用され、
さらに彼らの文筆によって道徳臭の濃い歴史上の教訓や、
人生の指針となる寓話(ぐうわ)につくりかえられた。
そのため、
人頭蛇身や牛頭人身などの神話上の存在が徳をもって人民を教化したり、
文物を創始して人々の生活を向上させた聖天子に面目を改められたのであった。
しかし、
神話のおもかげをまったくうかがい知ることができないわけではなく、
体系的な神話を知るすべもないにしろ、
幸いに『楚辞(そじ)』『山海経(せんがいきょう)』『荘子(そうじ)』『淮南子』などの限られた一部の古文献や、
『三五歴記』などの後世の書のなかにその断片を認めることができる。
以下にそれらの記事を縫合して中国古代神話の一端をうかがうことにする。
世界は初め混沌(こんとん)とし、上下左右の区別もつかなかった。
やがて清らかな気が上昇して天となり、
濁った気が下りて凝固し、
地となった。
しかし、
当初天と地は接近しており、
今日みるように遠く離れてはいなかった。
そしてこの天地の間に盤古という神が生じ、
その成長につれて天はより上に、
地はより下へと押されていき、
ここに天地が開闢した。
やがて盤古の寿命が尽きて死ぬと、
その身体の各部分が山岳や河川、海、日月、星辰、
さらに草木や岩石などに変化した。
(盤古開天闢地)
この世界に人間が出現したのは女媧(じょか)の営為によると伝えられている。
女媧は泥土をこねて人間をつくったが、
そのつくり方に精疎の差があったため、
それが有能・無能や身体の全・不全などの違いとなったという。
火の発見とその利用は燧人(すいじん)という神に始まる。
ただしこの呼び名自体が火の発見者、創始者を意味するから、
神名というよりむしろ火の文化の擬人化である可能性が濃い。
また農耕は神農という神によって始められたという。
ただしこの名も、
同じく農耕の創始神とされている后稷とともに、
農業の神そのものを意味している。
これらのほか、 婚姻の制は伏羲(ふくぎ)、 文字は蒼頡(そうきつ)によって始められるなど、 さまざまな文化や制度が神々によって創始され、 太古の人々は豊かで平和な生活を享受していた。
ところが、
この世界に大きな災害が発生し、
大混乱となった。
それは、
この世界の支配を望んで果たせなかった共工(きょうこう)神が、
立腹のあまり天を支えている柱の1本を折ったためである。
突然火災や地崩れが生じ、この世界は水没の危険にさらされた。
別の伝承では、
10個の太陽が一度に出現したためにこの世が赫熱(かくねつ)地獄に化したともいい、
また大混乱は突然の大洪水の発生によったとも伝えられている。
なお「昔」を表す甲骨文字が日と大水からできあがっているのは、
太古の大洪水に関するこのような伝承を反映しているものともいわれている。
そしてこれらのさまざまな災禍は、女媧、羿(げい)、禹(う)らの活躍によって救われる。
以上の諸伝承は明らかに系統の異なる神話であったと思われる。
なかでも禹は、
治水の功によって中国最初の王朝といわれる夏(か)の初代の王に推戴(すいたい)された。
のちにこの夏王朝にかわったのが湯(とう)王に始まる殷(いん)王朝で、
神話時代はこのころ終わりを告げ、
真の歴史がこの殷王朝の後半から始まる。
以上はそのすべてが漢民族本来の伝承であったかどうか、なお検討を要する。
今日、
中国西南地区に住むさまざまな民族、
たとえばミャオ(苗)、ヤオ(瑤)、チュワン(壮)あるいはラフ(拉祜)族などの諸族の間にも同じように天地創始や、
人類出現後、
大洪水の発生、
複数の太陽の出現という災害によって地上が一時期混乱に陥り、
それを克服したあとに初めて平安な世界が訪れたという内容の神話が語り伝えられている。
これらは漢族の影響を受けたものであるのか、
それとも彼ら本来の伝承であって、
それが逆に漢族に影響を与えてその記録にとどめられるようになったのか、
つまびらかではない。
この解決は、中国古代神話の研究上、重要課題の一つである。
中国神話における天地開闢は史記にも記載がなく、
その初めての記述は呉の時代(3世紀)に成立した神話集『三五歴記』や、『五運暦年記』『述異記(じゅついき)』に記述がある。
盤古はこの世界を創造した造物主であるとされ、その世界創造については二通りの異なる伝承が残されている。
盤古開天闢地(ばんこかいてんびゃくち)、盤古開天(ばんこかいてん)とも呼ばれる。
原初、天地は近接しており自由に往来できていたが、重黎という神が天を上に押し上げ、地を下に押し下げたために天地が分かたれたという。
『書経』『国語』『山海経』に記述がある。
『淮南子』には、 中国の地勢の起源を語る女媧(じょか)補天神話の記述がある。
太初より大地の四隅に天を支える柱が立っていたが、
あるとき柱が折れてしまい、
天が落ちてきて大洪水や地割れ、
大火災が発生し大惨事となった。
これを見た女媧という人頭蛇身の神が5色の石を練ってひび割れた天を補修し、
巨大な亀の足を切り取って東西南北の柱として立て直して天空を支えた。
さらに、芦を集めて焼いた灰で大洪水を治め、天地は元通りとなった。
張君房が11世紀初めに編集した道教書『雲笈七籤(うんきゅうしちせん)』巻三では、世界について、まず「無」から「妙一」、「三元」、「三気」、「三才」へと変化し、万物が生じたと(万物生成の過程を)説く。三元の頃に、天宝君・霊宝君・神宝君の三宝君の神が現れ、この神のいる場所をそれぞれ玉清境・上清境・太清境といい、その総称を「三天」または「三清境」と呼ぶ(後述書 p.75)。この三宝君も元は元始天尊から別れた神であり、それぞれ経典を説き、洞真・洞玄・洞神の三洞の教主となったとある(窪徳忠 『道教の神々』 講談社学術文庫 10刷2001年(1刷1996年) p.75)。この他にも諸説ある(前同)。