阿知使主(あちのおみ)
3世紀 -
4世紀頃、または
5世紀前半
応神天皇時代の渡来人で、
東漢氏の祖と言われる。
『
記紀』共に
仁徳天皇時代の記事はなく、
応神天皇(『
日本書紀』のみ)と
履中天皇時代の活躍を伝えている。
阿智直、
阿智使主、
阿知王、
阿知吉師ともいう。
子は長男:
都加使主、次男:坂上志拏直、三男:東漢爾波伎直。
長男:
都加使主の子は東漢山木直。
次男:坂上志拏直の子は、長男・坂上阿素奈直、次男・坂上志多直、三男・坂上阿良直、四男・坂上刀禰直、五男・坂上鳥直、六男・坂上駒子直、七男・坂上韋久佐直がいる。
『
日本書紀』によると、
西暦306年(
応神天皇37年)に呉国に遣わされ、
4人の縫製女工(
絹衣工女)を連れて
西暦310年(
応神天皇41年)に帰国した。
また住吉仲皇子が黒媛 (羽田矢代の娘)との密通の発覚を恐れ、
履中天皇に対し反乱を起こし天皇の宮を燃やした際に、
平群木菟や物部大前と共に
履中天皇を馬に乗せて逃した。
『
古事記(履中天皇記)』にも同様の記事があるが、
名前は「阿知直」と記され、
その功により後に「蔵官」に任じられたという。