神八井耳命(かんやいみみのみこと) 生年不詳 -
西暦510年(
綏靖天皇4年4月)
『
記紀』等に伝わる古代日本の皇族。
初代
神武天皇の皇子で、
母は
媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)。
一般に第2代
綏靖天皇の同母兄とされるが、
この系譜については異説もある。
多臣(多氏)及びその同族の祖とされる。
『
日本書紀(綏靖天皇即位前紀)』によれば、
朝政の経験に長けていた庶兄の
手研耳命は、
皇位に就くため弟の神八井耳命・
神渟名川耳尊を害そうとした(
手研耳命の反逆)。
この陰謀を知った神八井耳・神渟名川耳兄弟は、己卯年11月に片丘(奈良県北葛城郡王寺町・香芝町・上牧町付近か)の大室に臥せっていた
手研耳命を襲い、これを討った。
この際、神八井耳は手足が震えて矢を射ることができず、
代わりに神渟名川耳が射て殺したという。
神八井耳はこの失態を深く恥じ、
弟に皇位をすすめ(第2代
綏靖天皇)、自分は天皇を助けて
神祇を掌ることとなった。
そして神八井耳は
西暦510年(
綏靖天皇4年4月)に
薨去したという。
『
古事記』においても同様の説話が記されている。