小窓
神八井耳命(かんやいみみのみこと)

作成日:2023/5/23

神八井耳命(かんやいみみのみこと) 生年不詳 - 西暦510年綏靖天皇4年4月)

記紀』等に伝わる古代日本の皇族。
初代神武天皇の皇子で、 母は媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)。
一般に第2代綏靖天皇の同母兄とされるが、 この系譜については異説もある。 多臣(多氏)及びその同族の祖とされる。

日本書紀(綏靖天皇即位前紀)』によれば、 朝政の経験に長けていた庶兄の手研耳命は、 皇位に就くため弟の神八井耳命・神渟名川耳尊を害そうとした(手研耳命の反逆)。 この陰謀を知った神八井耳・神渟名川耳兄弟は、己卯年11月に片丘(奈良県北葛城郡王寺町・香芝町・上牧町付近か)の大室に臥せっていた手研耳命を襲い、これを討った。

この際、神八井耳は手足が震えて矢を射ることができず、 代わりに神渟名川耳が射て殺したという。 神八井耳はこの失態を深く恥じ、 弟に皇位をすすめ(第2代綏靖天皇)、自分は天皇を助けて神祇を掌ることとなった。 そして神八井耳は西暦510年綏靖天皇4年4月)に薨去したという。 『古事記』においても同様の説話が記されている。