小窓
暦について

作成日:2022/9/18

過去のことを記載する場合、それがいつのことであったのかを示すために暦を使って表現する。
暦は西暦を用い、日本で元号が制定されてからは和暦と西暦を対応した表現を用いている。
その日付を記載する場合、基となる資料はほとんどWikipediaであった。 Wikipediaでは古い順にローマ暦、ユリウス暦とグレゴリオ暦で表現している。
紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用い、紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用い、1852年からはグレゴリオ暦を導入した。

この資料の作成時には特に意識せず西暦xxxx年と表現してきたが、 気づいた時点で既に資料に手を加えるには膨大な工数がかかる状態であった。
その上、Wikipediaの手法以外の方法が思いつかなかったのでそのまま従うことにした。

太陰暦

太陰暦(たいいんれき) 英語:lunar calendar

太陰暦は、月の満ち欠けの周期だけを基にした暦法(暦作成の方法・基準)である。 その周期を朔望月(月の満ち欠けが1周する期間)といい、 1朔望月をひと月(1ヶ月)とする。 なお、「太陰」は「月(天体)」の意味である。 陰暦(いんれき)とも言われる。 「太陽暦」(陽暦)の対義語である。 閏月などを入れて季節のずれを調整する太陰太陽暦と、 季節のずれを調整しない純粋太陰暦がある。 単に「太陰暦」と言った場合、 日本や中国などの東アジアでは太陰太陽暦を指し、 イスラム圏などでは純粋太陰暦を指す。

月は地球に対して公転し、 その周期平均は平均朔望月といい、 2015年時点では、29.530589日[3]である。 太陰暦では、1朔望月を1ヶ月(ひとつき)とし、 さらに12ヶ月を1年(1太陰年)とする。 1太陰年は、29.530589日×12 = 354.36707日である。 1月(ひとつき)が29日の月(小の月)と、 30日の月(大の月)をそれぞれ6回ずつ設け、 1太陰年を354日とすると、 1年につき0.36707日の誤差が出るので、 3年に1回程度、 小の月の日数を1日増やして1太陰年を355日とする必要がある。 太陰暦では、この1太陰年が355日となる年が閏年であり、 ヒジュラ暦では30年間に11回、 閏年を設けている。

一方、1太陰年は1太陽年(365.242189日)に比べて約11日短く、 季節に対して3年で1月以上の誤差が出る。 純粋太陰暦では、 この誤差に対する調整は行われず、 同じ日付でも年ごとに季節は次第に変わっていき、 おおよそ33年で元の季節に戻ることになる。 太陰太陽暦では閏月を設けてこれを調整し、 閏月を設けた年が閏年と呼ばれる。

朔(さく)

(さく)  英語:new moon

  • 地球から見て、 太陽が同じ方向となり、 から反射した太陽光が地球にほとんど届かないこと、 あるいはその時刻をいう。 現代的な定義での新月(しんげつ)。
    対義語は「(ぼう)」で、 太陽の真後ろに位置し、 が最も明るく見えるときをいう。
  • 陰暦で、月の第一日をいう。朔日(さくじつ、ついたち)。「」1字で「ついたち」とも読む。
  • 四季の最初の日のこと。四孟(孟春・孟夏・孟秋・孟冬)。四孟の朔日。
  • 告朔(こうさく・こくさく)のこと。令制で、毎月一日に天皇が大極殿で、諸司の奏する前月の行事や百官の出勤日数などをご覧になった儀式。

新月は、本来はの後に初めて見える月のことである。 陰暦二日までは月はほとんど見えないので、 陰暦三日ごろの月(三日月)が新月となる。 1日の始まりを日没時とする文化があるのは、 太陰暦では月の始まりを日没時に見える新月が観測される時点としていたからである。 初月(しょげつ)もこの新月と同じ意味である。 「みかづき」の訓もある(ひ)も同様である。

精密な天体観測がなされる前は、この新月の日を月初としていた。 「朔(ついたち)」も本来は、この新しく見える月を意味した。 この伝統的な意味での新月と区別するために、 のことを暗月(あんげつ)と呼ぶことがある。

あるから次のまで(あるいはあるから次のコードは「SJIS」であることまで)を朔望月という。

太陽暦

太陽暦(たいようれき) 英語:solar calendar

太陽暦とは、地球太陽の周りを回る周期を基にして作られた暦(暦法)である。
古代ローマでは紀元前7世紀から太陰暦をもとに、 1ヶ月を29日、1年を12ヶ月、1年が355日の暦を使っていたが、 季節(地球の公転周期)とのずれが生じてきたため、 紀元前400年ごろから隔年に22~25日の閏月を入れて調整するようになった。 その運用は神官にまかされていたが、 前1世紀ごろには実際の季節と暦との間に約2ヶ月のずれが生じた。 そこでカエサルは、紀元前46年、 エジプトのアレキサンドリアの暦法に倣い太陽暦を採用し、 365.25日を1回帰年とし4年ごとに閏年をおく、 いわゆる「ユリウス暦」を制定した。 この新しい暦は紀元前45年1月1日から実施された。

実際の季節とほぼ一致するこの方式はローマ世界で広く用いられ、 中世ヨーロッパでも継承されたが、100年に0.8日ずつ実際の太陽の周期とずれるため、 16世紀終わりごろにはその差が10日ほどに広がり、不都合が生じてきた。 そこで、ローマ教皇グレゴリウス13世は暦法の改訂を命じ、 1582年の「グレゴリウス暦」が制定、施行された。 カトリック地域ではグレゴリウス暦が採用されていったが、 東方教会やプロテスタント諸国ではローマ教皇による暦の改訂に反発し、 ユリウス暦の使用を続けるところも多かった。 特にイギリスでは18世紀までユリウス暦が用いられていた。

古代ギリシャ暦

古代ギリシャ暦(こだいギリシャれき)は、古代ギリシャにおいて使用されていた太陰太陽暦。 その当初は2年に1回の閏(うるう)月を挿入する単純な暦法であったが、 ついで8年間のうち3、5、8年目に閏月を挿入する八年法に変わった。 紀元前433年メトンが十九年七閏法を発明した。 これは19年間(235か月)に7閏月を挿入するもので、 メトンは19年間の総日数を6940日(メトン周期という)とした。 したがって1暦年の平均日数は365.263日、 1暦月の平均日数は29.532日となる。 メトン周期の起算日は紀元前432年6月27日である。

メトン周期に次いで、紀元前334年カリポスが、 76年に28閏月を置き、 総日数を2万7759日(カリポス周期という)とするカリポス法を創案した。 これは1暦年の平均日数を365.25日とするもので、 中国では四分暦とよばれた暦法であり、 1暦月は29.531日となる。 その起算日は紀元前330年にとられた。 その後、紀元前125年ごろヒッパルコスが、304年の周期で、 総日数11万1035日というヒッパルコス法を提案したがこの法は用いられなかった。
【注釈】実際に観測で求められる平均太陽年(回帰年)は365.2421・・・日である。

古代ギリシャにおける暦はポリスや地域ごとに異なっており、 月の呼称や新年の時期さえも違う。 多くのポリスでは秋冬に新年が訪れるが、 アッティカ暦では夏(7月-8月)が新年である。
数多くある古代ギリシャ暦の中で、 デルポイ暦がとりわけ重要視されている。 なぜなら、 奴隷解放の碑文の多くはデルポイ暦によって刻印されていたからである。
ギリシャとギリシャの表記法について
日本語では「ギリシャ」と「ギリシャ」で揺れている。 国名としては「ギリシャ」とすることが多いようだが、 西洋古典学・歴史学・哲学などは「ギリシャ」と表記する慣行を取っているよう。 哲学分野でもほぼ同様である。

ローマ暦

ローマ暦(ローマれき)は、古代ローマで使用されていた暦法。 狭義には、古代ギリシャ暦を元にしてつくられた暦法を言う。 ローマ建国紀元とは異なる。
広義には、改暦されたユリウス暦もローマ暦に含める。 さらに広義には、ユリウス暦を改暦して使用されたユリウス暦も含む。

紀元前753年紀元前745年説あり)、 最初のローマ暦が古代ローマで採用された。 この暦法は、ローマを建国したとされる王ロームルスの名をとり、 ロムルス暦と呼ばれる。
最初は1年を10ヵ月に分け、 1月 (マルティウス) 、3月、5月、8月の4ヵ月を31日の月、 2月、4月、6月、7月、9月、10月 (デセンベル) の6ヵ月を 30日の月とし、 1年を 304日と定めた。
これは季節と合わない不完全な暦であった。

そこで紀元前7世紀前半にヌマ王は 31日の月はそのまま、30日の月をすべて 29日に改め、 10月の次に29日の11月 (ジャヌアリウス) と28日の12月 (フェブルアリウス) を加えて平年を355日とし、 隔年ごとに 23日または 22日のマケドニウスという閏月を設けたので、 閏年は 378日または 377日であった。

この暦は紀元前46年ユリウス暦が採用され、 紀元前45年に施行されるまで続けられた。

ユリウス通日

ユリウス通日(ユリウスつうじつ)/ ユリウス日(ユリウスび) 英語:Julian Day 略:JD

ユリウス通日ユリウス暦:紀元前4713年1月1日(注1)(先発グレゴリオ暦では紀元前4714年11月24日)の正午(世界時)を元期(=0日目)とし、日の単位で数える。 ユリウス通日は天文時の伝統に従い、日の起点は正午である。 したがって、世界時の正午に日数(の整数部分)が増加する。 ユリウス通日は二時点の間の日数や秒数を計算するのに便利で、 天文学や年代学などで使われている。 小数を付けることにより時・分・秒数(と更に、その小数)を表現することができる。 例えば、 協定世界時(UTC)での2022年9月17日21:54の45の値は、 おおむね2459840.41である。

ユリウス通日は、天体観測に便利なように正午を起点にしている。 つまり、天体観測は通常は夜間に行われるので、 夜の0時(正子)の時点で日付が変わる(ユリウス通日の整数部分が増加する。)のは、 不便で間違いも起こりやすい。 このためユリウス通日は、正午の時点で日付が変わるように決められたのである。 この慣習は「天文時」の時刻系の伝統であり、 クラウディオス・プトレマイオス (2世紀頃)に始まるものである。

修正ユリウス日(Modified Julian Date:MJD)は、 ユリウス通日から2 400 000.5を差し引いたものである。 ユリウス通日の2 400 000.5 は、1858年11月17日正子UT に当たるので、 この時点を元期としていることになる。
ユリウス通日とは異なり、世界時の正子(真夜中の0時)に日数が増加する。

なお、天文時の日の起点を正午とする時刻系は通常一般の時刻系と紛らわしいので、 ユリウス通日を除き、1925年1月1日からは天文学では「天文時」を廃止し、 正子(真夜中の0時)を1日の始まりとする「常用時」に統一された。

しかし、ユリウス通日については、1925年以降も継続して正午を起点としている。

(注1)
ユリウス通日の元期を示すユリウス暦は、 西暦8年以前についてもユリウス暦の暦法(4年に1度閏年を実施)を機械的に遡って適用したと仮定した先発ユリウス暦を指す。 実際のユリウス暦では、その初期である紀元前45年から紀元前8年の間では、 閏年を3年に1度とするという正しくない運用がなされていたので、 この先発ユリウス暦とは一致しない。
また、紀元前45年以前にはユリウス暦そのものが存在しない。

ユリウス暦

ユリウス暦 英語:Julian calendar

古代ローマでは紀元前7世紀から太陰暦をもとに、 1ヶ月を29日、1年を12ヶ月、1年が365日の暦を使っていたが、 地球の公転周期(365.242・・・日)とのずれが生じてきたため、 紀元前400年ごろから、隔年に22~25日の閏月を入れて調整するようになった。 その運用は神官にまかされていたが、 紀元前1世紀ごろには実際の季節と暦との間に約2ヶ月のずれが生じた。 そこでカエサルは、紀元前46年、 エジプトのアレキサンドリアで行われていた太陽暦を採用し、 365日と1/4を1回帰年とし4年ごとに閏年をおく、 いわゆる「ユリウス暦」を制定した。 この新しい暦は紀元前45年1月1日から実施された。

実際の季節とほぼ一致するこの方式はローマ世界で広く用いられ、 中世ヨーロッパでも継承されたが、 100年に0.8日ずつ実際の太陽の周期とずれるため、 16世紀終わりごろにはその差が10日ほどに広がり、不都合が生じてきた。 そこで、ローマ教皇グレゴリウス13世は暦法の改訂を命じ、 西暦1582年の「グレゴリウス暦」が制定、 施行された。 カトリック地域ではグレゴリウス暦が採用されていったが、 東方教会やプロテスタント諸国ではローマ教皇による暦の改訂に反発し、 ユリウス暦の使用を続けるところも多かった。 特にイギリスでは18世紀までユリウス暦が用いられていた。

ユリウス暦制定直後の混乱
ユリウス暦制定(紀元前45年)直後の混乱により、 紀元前6年から紀元7年まで13年間にわたって、 3回分(紀元前5年、紀元前1年、紀元4年)の閏年を停止した。

先発ユリウス暦

先発ユリウス暦(せんぱつ ユリウス れき)  英語の原文を翻訳

先発ユリウス暦は、 4年ごとの閏年が安定した西暦8年以前の日付までユリウス暦を遡って延長することによって作成される。 紀元前45年のユリウス暦の導入から西暦8年までの間に実際に観測された閏年は不規則であった。

発明または実装よりも以前に拡張によって得られた暦は、 その暦の「先発的」バージョンと呼ばれる。 同様に、 先発グレゴリオ暦は、 西暦1582年グレゴリオ暦が導入される前の日付を指定するために使用されることがある。 その前にはユリウス暦が使用されていたため、 その場合は、 引用された日付が先発グレゴリオ暦に基づいていることを明示的に示す必要がある。 ...

ユリウス暦自体はユリウス・カエサルによって導入されたもので、 西暦の導入よりも古く、 6世紀にディオニュソス・エクシグスによって計算されたキリストの生誕からの年数を数え、 8世紀頃から中世ヨーロッパの年代記で広く使用され、 特にベーダによって広く使用された。 先発ユリウス暦では、 ユリウス暦は使用されていたが西暦は使用されていなかった後期古代の日付や、 ユリウス暦導入以前の時代を含め、 一貫して西暦を使用している。 年は基数で表され、 包括的に数えられる(西暦1年は西暦の最初の年であり、その直前の年は西暦の前の年である紀元前1年であり、「0年」ない)。 したがって、 先発ユリウス暦の紀元前1年は閏年である。

これは、 西暦1740年に、 フランスの天文学者ジャック・カッシーニによって導入された天文学上の年号とは区別される。 このシステムでは、 各新年を時間軸上の整数と見なし、 0年が紀元前1年に対応し、 「-1年」が紀元前2年に対応するため、 このシステムではユリウス暦の閏年は4で割り切れる数になる。

先発ユリウス暦(どちらの番号付けでも)における閏年の決定は、 閏年の誤りのため、 ローマ時代に歴史的にどの年が閏年とみなされていたかという問題とは別物である。 紀元前45年から紀元後8年の間、 閏日はいくぶん体系的ではなかった。 したがって、 ローマのユリウス暦以前または紀元後8年より前のユリウス暦を使用して引用された日付に相当する日付を先発ユリウス暦で見つけることは簡単ではない。 紀元前46年自体は特別なケースである。 その年にユリウス暦が歴史的に導入されたため、 445日が割り当てられていた。 それ以前は、 ローマ共和暦では閏日ではなく閏月制度が使用されていた。

グレゴリオ暦

グレゴリオ暦 英語:Gregorian calendar

太陽暦法の一種。 西暦1582年10月、 ローマ法王グレゴリウス13世により施行された。 当時使用されていたユリウス暦は1年の平均日数が365.25日であったため、 この暦法に従って閏(うるう)日を置いていると、 100年間で18時間、1000年で8日近く、実際の季節と相違をきたし、 真の春分は暦上の春分よりそれだけ早くなる。 16世紀終わりころになると、 西暦325年ニカイアの宗教会議で定められた3月21日の春分は3月11日となり、 10日も早まった状態となった。
ときのローマ法王グレゴリウス13世は、 西暦1582年の春分が3月21日となるように10日間を省いて10月4日の次の日を15日とし、 将来も相違がおきないようにするため、 4年に一度閏年を置いたそれまでの置閏法を改め、 「西暦紀元年数が4で割り切れる年を閏年とする。 ただし100で割り切れる年のうち4で割り切れない年は平年とする。 閏日は2月28日の次の日に置く」とした。 これをグレゴリオ暦という。

この置閏法によると、 1年の平均日数は(365日×303+366日×97)/400=365.2425日となり、 100年に0.03日、1万年で3日の違いである。 1万年で3日の狂いは実際問題として日常生活の妨げとなるほどのものではない。 この改暦にはクラビウスが大いに寄与している。 グレゴリオ暦置閏法が簡明であり、 しかもその誤差も小さいので、 今日世界の各国で採用している

【クラビウス】
ドイツ生れ、イタリアの数学者、天文学者。イエズス会の司祭。 ポルトガルのコインブラ大学で学び、 西暦1565年コレージュ・ロマーノの数学の教授に就任。 〈16世紀のユークリッド〉というあだ名がある。 西暦1574年、ユークリッドの《ストイケイア》のラテン語訳の校訂出版を行った。 また、《サクロボスコ天球論注釈》(西暦1581年)を著した。 さらに、ユリウス暦の改暦に当たっては中心的な働きをし、 グレゴリオ暦策定の原動力となった。

グレゴリオ暦への改暦

ローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦の改良を命じ、 グレゴリオ暦における1582年10月15日金曜日に、 ユリウス暦からグレゴリオ暦に改暦された。
この日は、 ユリウス暦では「1582年10月4日」の翌日に相当する。

日本では明治5年旧12月3日(天保暦)にグレゴリオ暦を採用し、 この日を1873年(明治6年1月1日)とした。
これまでは、 西暦(グレゴリオ暦)の月日と和暦の月日が異なっていたが、 この事により同じ月日となった。

先発グレゴリオ暦

先発グレゴリオ暦(せんぱつグレゴリオれき)  英語:proleptic Gregorian calendar

先発グレゴリオ暦とは、 西暦1582年から施行されたグレゴリオ暦の暦法を、 西暦1582年以前にも適用したものである。 「proleptic Gregorian calendar」には日本語の定訳がなく、 遡及グレゴリオ暦、 予測的グレゴリオ暦、 予期的グレゴリオ暦などとも訳される。

日付及び時刻の表記の規格であるJIS X0301:2002 においては、 「仮想上のグレゴリオ暦」としている。 ...

ISO8601は、 0000年から1582年の範囲においても、 事前に通信の送信側と受信側との間での合意がある場合にのみ、 先発グレゴリオ暦を使うことができると規定している。

また、先発グレゴリオ暦はマヤ文明の研究者によって、 特に長期暦(マヤ暦)の換算のためなどに用いられている。 そのほか、 天文学者やマヤ文明以外の歴史学者の間でも用いられている。

紀元前の年の記述法には2通りがある。 ベーダやそれ以降の歴史学者は、 年の記述に0を使用せず、 紀元後1年の前年は紀元前1年としてきた。 この場合、 紀元前1年は閏年とすることとした。 しかし、 紀元後1年の前年を0年とし、 それ以前の年については負数とした方が、 紀元前の年と紀元後の年の間の年数を計算する上は便利である。 このような0年と負数の年を用いる記述法は天文学的紀年法に用いられており、 ISO 8601でもこの記述法を用いることとしている。 この場合、0年は閏年である。

ユリウス暦は紀元前45年から施行されたが、 紀元前45年から紀元前1年までは閏日が本来の規則通りに挿入されなかった(ユリウス暦#初期のユリウス暦の運用を参照)。 従って、「4年に1度閏日を挿入する」という本来の規則通りのユリウス暦は、 紀元前1年から1582年まで用いられたことになり、 天文学者や歴史学者はこの期間についてはユリウス暦を用いる。 しかし、季節日付が重要になる場合で、 特にユリウス暦を用いていなかった文化について論ずる場合は、 先発グレゴリオ暦を用いることもある。

先発グレゴリオ暦はプログラミング言語やその言語に付属する標準的なライブラリーにおいて古い日付の取扱いを簡単にするために用いられることがある。 例えば、MySQL、SQLite、PHP、CIM、Delphi、COBOLでは先発グレゴリオ暦が用いられている。

Microsoft Windows NTでは1601年1月1日0時0分(UTC)(先発グレゴリオ暦)からの100ナノ秒ティック単位での経過時間がシステム時刻に用いられる。

日本の神武天皇が即位したとされる「辛酉年春正月庚辰朔」は先発グレゴリオ暦紀元前660年2月11日と算出され、 2月11日が日本の紀元節、 後に日本の建国記念の日に定められた。

日本の歴史地震の西暦表記も、 明治時代以来慣行的に1582年以前も先発グレゴリオ暦が使用され、 『理科年表』の「日本付近のおもな被害地震年代表」を始め、 『日本被害地震総覧』、 『地震の事典』などの年表、 および『新収日本地震史料』、 『日本の歴史地震史料』などの史料集と多くの地震関連文献が先発グレゴリオ暦で表記している。 一方で、 1582年以前はユリウス暦表記が望ましいとする意見もあり、 歴史地震研究会では、 1582年以前の地震の発生日時はユリウス暦表記を推奨している。

年の説明群

ローマ暦

紀元前y1年は、西暦(ローマ暦)による年。

紀元前1世紀の共和政ローマ末期以降の古代ローマにおいては、 ローマ建国紀元y2年として知られていた。

紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、 この年は紀元前y1年と表記されるのが一般的となった。

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いた。
1585年からはグレゴリオ暦を用いている。
ローマ暦による

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年まではユリウス暦を用いた。
1585年からはグレゴリオ暦を用いている。
紀元前46年はローマ暦の最後の年である。暦の調整のため、445日間あった

この年にユリウス暦が導入されたが、適用されたのは紀元前45年からである。

ユリウス暦

ユリウス暦による

紀元前45年は、ローマ暦の709年であり、 ユリウス暦が施行された年である。
ユリウス暦による

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いた。
1585年からはグレゴリオ暦を用いている。
ユリウス暦による平年

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いた。
1585年からはグレゴリオ暦を用いている。
ユリウス暦による閏年

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いた。
1585年からはグレゴリオ暦を用いている。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いた

ユリウス暦制定(紀元前45年)直後の混乱により、 紀元前6年から紀元7年まで13年間にわたって、 3回分(紀元前5年、紀元前1年、紀元4年)の閏年を停止した。
ユリウス暦による平年。1月1日は日曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いた。
1585年からはグレゴリオ暦を用いている。
ユリウス暦による平年。1月1日は月曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いた。
1585年からはグレゴリオ暦を用いている。
ユリウス暦による平年。1月1日は火曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いた。
1585年からはグレゴリオ暦を用いている。
ユリウス暦による平年。1月1日は水曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いた。
1585年からはグレゴリオ暦を用いている。
ユリウス暦による平年。1月1日は木曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いた。
1585年からはグレゴリオ暦を用いている。
ユリウス暦による平年。1月1日は金曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いた。
1585年からはグレゴリオ暦を用いている。
ユリウス暦による平年。1月1日は土曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いた。
1585年からはグレゴリオ暦を用いている。
ユリウス暦による閏年。1月1日は日曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いた。
1585年からはグレゴリオ暦を用いている。
ユリウス暦による閏年。1月1日は月曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いた。
1585年からはグレゴリオ暦を用いている。
ユリウス暦による閏年。1月1日は火曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いた。
1585年からはグレゴリオ暦を用いている。
ユリウス暦による閏年。1月1日は水曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いた。
1585年からはグレゴリオ暦を用いている。
ユリウス暦による閏年。1月1日は木曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いた。
1585年からはグレゴリオ暦を用いている。
ユリウス暦による閏年。1月1日は金曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いた。
1585年からはグレゴリオ暦を用いている。
ユリウス暦による閏年。1月1日は土曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いた。
1585年からはグレゴリオ暦を用いている。

グレゴリオ暦

グレゴリオ暦による平年。1月1日は日曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いていた。
1582年からはグレゴリオ暦を用いている。日本では1873年(明治6年)から。

グレゴリオ暦の規定では、
グレゴリオ暦による平年。1月1日は月曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いていた。
1582年からはグレゴリオ暦を用いている。日本では1873年(明治6年)から。

グレゴリオ暦の規定では、
グレゴリオ暦による平年。1月1日は火曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いていた。
1582年からはグレゴリオ暦を用いている。日本では1873年(明治6年)から。

グレゴリオ暦の規定では、
グレゴリオ暦による平年。1月1日は水曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いていた。
1582年からはグレゴリオ暦を用いている。日本では1873年(明治6年)から。

グレゴリオ暦の規定では、
グレゴリオ暦による平年。1月1日は木曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いていた。
1582年からはグレゴリオ暦を用いている。日本では1873年(明治6年)から。

グレゴリオ暦の規定では、
グレゴリオ暦による平年。1月1日は金曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いていた。
1582年からはグレゴリオ暦を用いている。日本では1873年(明治6年)から。

グレゴリオ暦の規定では、
グレゴリオ暦による平年。1月1日は土曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いていた。
1582年からはグレゴリオ暦を用いている。日本では1873年(明治6年)から。

グレゴリオ暦の規定では、
グレゴリオ暦による閏年。1月1日は日曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いていた。
1582年からはグレゴリオ暦を用いている。日本では1873年(明治6年)から。

グレゴリオ暦の規定では、
グレゴリオ暦による閏年。1月1日は月曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いていた。
1582年からはグレゴリオ暦を用いている。日本では1873年(明治6年)から。

グレゴリオ暦の規定では、
グレゴリオ暦による閏年。1月1日は火曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いていた。
1582年からはグレゴリオ暦を用いている。日本では1873年(明治6年)から。

グレゴリオ暦の規定では、
グレゴリオ暦による閏年。1月1日は水曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いていた。
1582年からはグレゴリオ暦を用いている。日本では1873年(明治6年)から。

グレゴリオ暦の規定では、
グレゴリオ暦による閏年。1月1日は木曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いていた。
1582年からはグレゴリオ暦を用いている。日本では1873年(明治6年)から。

グレゴリオ暦の規定では、
グレゴリオ暦による閏年。1月1日は金曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いていた。
1582年からはグレゴリオ暦を用いている。日本では1873年(明治6年)から。

グレゴリオ暦の規定では、
グレゴリオ暦による閏年。1月1日は土曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いていた。
1582年からはグレゴリオ暦を用いている。日本では1873年(明治6年)から。

グレゴリオ暦の規定では、
グレゴリオ暦による平年。1月1日は日曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いていた。
1582年からはグレゴリオ暦を用いている。日本では1873年(明治6年)から。

グレゴリオ暦の規定では、
  1. 年が4で割り切れる年は、閏年である
  2. ただし、100で割り切れる年は、閏年ではない
  3. ただし、400で割り切れる年は、閏年である
この年は100で割り切れ、 かつ400では割り切れない年であるため、 閏年ではない

この規定に合致するのは西暦年の下二桁が「00」の年である。 この年は「世紀末」と呼ばれている(世紀は下二桁が「01」の年から始まる)。

ただし、 この年が上記規定の「3」に当てはまる1600年、2000年、2400年の場合には閏年となる。
グレゴリオ暦による平年。1月1日は月曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いていた。
1582年からはグレゴリオ暦を用いている。日本では1873年(明治6年)から。

グレゴリオ暦の規定では、
  1. 年が4で割り切れる年は、閏年である
  2. ただし、100で割り切れる年は、閏年ではない
  3. ただし、400で割り切れる年は、閏年である
この年は100で割り切れ、 かつ400では割り切れない年であるため、 閏年ではない

この規定に合致するのは西暦年の下二桁が「00」の年である。 この年は「世紀末」と呼ばれている(世紀は下二桁が「01」の年から始まる)。

ただし、 この年が上記規定の「3」に当てはまる1600年、2000年、2400年の場合には閏年となる。
グレゴリオ暦による平年。1月1日は火曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いていた。
1582年からはグレゴリオ暦を用いている。日本では1873年(明治6年)から。

グレゴリオ暦の規定では、
  1. 年が4で割り切れる年は、閏年である
  2. ただし、100で割り切れる年は、閏年ではない
  3. ただし、400で割り切れる年は、閏年である
この年は100で割り切れ、 かつ400では割り切れない年であるため、 閏年ではない

この規定に合致するのは西暦年の下二桁が「00」の年である。 この年は「世紀末」と呼ばれている(世紀は下二桁が「01」の年から始まる)。

ただし、 この年が上記規定の「3」に当てはまる1600年、2000年、2400年の場合には閏年となる。
グレゴリオ暦による平年。1月1日は水曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いていた。
1582年からはグレゴリオ暦を用いている。日本では1873年(明治6年)から。

グレゴリオ暦の規定では、
  1. 年が4で割り切れる年は、閏年である
  2. ただし、100で割り切れる年は、閏年ではない
  3. ただし、400で割り切れる年は、閏年である
この年は100で割り切れ、 かつ400では割り切れない年であるため、 閏年ではない

この規定に合致するのは西暦年の下二桁が「00」の年である。 この年は「世紀末」と呼ばれている(世紀は下二桁が「01」の年から始まる)。

ただし、 この年が上記規定の「3」に当てはまる1600年、2000年、2400年の場合には閏年となる。
グレゴリオ暦による平年。1月1日は木曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いていた。
1582年からはグレゴリオ暦を用いている。日本では1873年(明治6年)から。

グレゴリオ暦の規定では、
  1. 年が4で割り切れる年は、閏年である
  2. ただし、100で割り切れる年は、閏年ではない
  3. ただし、400で割り切れる年は、閏年である
この年は100で割り切れ、 かつ400では割り切れない年であるため、 閏年ではない

この規定に合致するのは西暦年の下二桁が「00」の年である。 この年は「世紀末」と呼ばれている(世紀は下二桁が「01」の年から始まる)。

ただし、 この年が上記規定の「3」に当てはまる1600年、2000年、2400年の場合には閏年となる。
グレゴリオ暦による平年。1月1日は金曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いていた。
1582年からはグレゴリオ暦を用いている。日本では1873年(明治6年)から。

グレゴリオ暦の規定では、
  1. 年が4で割り切れる年は、閏年である
  2. ただし、100で割り切れる年は、閏年ではない
  3. ただし、400で割り切れる年は、閏年である
この年は100で割り切れ、 かつ400では割り切れない年であるため、 閏年ではない

この規定に合致するのは西暦年の下二桁が「00」の年である。 この年は「世紀末」と呼ばれている(世紀は下二桁が「01」の年から始まる)。

ただし、 この年が上記規定の「3」に当てはまる1600年、2000年、2400年の場合には閏年となる。
グレゴリオ暦による平年。1月1日は土曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いていた。
1582年からはグレゴリオ暦を用いている。日本では1873年(明治6年)から。

グレゴリオ暦の規定では、
  1. 年が4で割り切れる年は、閏年である
  2. ただし、100で割り切れる年は、閏年ではない
  3. ただし、400で割り切れる年は、閏年である
この年は100で割り切れ、 かつ400では割り切れない年であるため、 閏年ではない

この規定に合致するのは西暦年の下二桁が「00」の年である。 この年は「世紀末」と呼ばれている(世紀は下二桁が「01」の年から始まる)。

ただし、 この年が上記規定の「3」に当てはまる1600年、2000年、2400年の場合には閏年となる。
グレゴリオ暦による閏年。1月1日は土曜日

紀元前753年から紀元前46年はローマ暦を用いた。
紀元前45年から1584年までははユリウス暦を用いていた。
1582年からはグレゴリオ暦を用いている。日本では1873年(明治6年)から。

グレゴリオ暦の規定では、
  1. 年が4で割り切れる年は、閏年である
  2. ただし、100で割り切れる年は、閏年ではない
  3. ただし、400で割り切れる年は、閏年である
この年は400で割り切れる。 上記「1」「2」「3」すべての規定に合致する年であるため、 閏年である

また、この年は、 西暦年の下二桁が「00」の年であるので「世紀末」と呼ばれている(世紀は下二桁が「01」の年から始まる)。

この規定に合致するのは、 1600年、2000年、2400年の場合だけである。