小窓
大正天皇(たいしょうてんのう)

作成日:2020/6/14

大正天皇は、日本の第123代天皇。

《紀》:日本書紀による記述  《記》:古事記による記述
日本の第123代天皇 大正天皇(たいしょうてんのう)

[在位] 明治45年/大正元年7月30日(西暦1912年7月30日)- 大正15年年12月25日(西暦1926年12月25日)
[生没] 明治12年8月31日(西暦1879年8月31日)- 大正15年12月25日(西暦1926年12月25日)47歳没
[先代] 明治天皇
[次代] 昭和天皇
[陵所] 多摩陵
[] 嘉仁(よしひと)
[御称号] 明宮(はるのみや)
[お印] 壽(じゅ)。
[父親] 明治天皇
[母親] 柳原愛子
[皇后] 貞明皇后 旧名:九條節子
[皇居]

年譜

天皇の系譜(第119代から今上)
西暦1879年(明治12年)
西暦1883年(明治16年)
西暦1885年(明治18年)
西暦1887年(明治20年)
西暦1888年(明治21年)
この年は病気がちで、 4月から百日咳にかかり学校を3ヶ月休み留年した。
この頃の学業成績は、 修身・読書・作文・実物(理科)・習字・遊戯(体育)が概ね良好だった一方、 唱歌は平均的で、 数学は良くなかった。
西暦1889年(明治22年)
西暦1891年(明治24年)
立太子後、 皇太子の教育体制は軍事色が強まり、 西暦1891年(明治24年)には東宮武官長が設置され奥保鞏陸軍少将が就任した。
奥は翌年1月に東宮太夫も兼務。
身の回りの世話から女官が排除されたが、 軍人に囲まれる生活で皇太子は次第に精神的・肉体的に不安定となっていった。
西暦1892年(明治25年)
西暦1893年(明治26年)
学習院初等科を卒業し、中等科へ進学。
西暦1894年(明治27年)
西暦1895年(明治28年)
西暦1898年(明治28年)
西暦1900年(明治33年)
西暦1901年(明治34年)
西暦1903年(明治36年)
西暦1905年(明治38年)
西暦1906年(明治39年)
西暦1909年(明治42年)
西暦1912年
西暦1915年(大正4年)
西暦1918年(大正7年)
年末末に風邪を引き、帝国議会開会式を欠席。
西暦1919年(大正8年)
正月の儀式はほぼ予定通り行われたが、 風邪が長引き1月末から3月まで葉山で静養する。
同年10月の海軍特別大演習では勅語を自分で朗読できず、 軍令部長が代読した。
そして11月に兵庫県・大阪府で行われた陸軍特別大演習への参加が最後の東京の外への公式行幸となった。
12月の帝国議会開会式は、 勅語朗読の練習をおこなったものの、 うまくいかなかったため、 前日になって出席が中止された。
西暦1920年(大正9年)- 西暦1921年(大正10年)
3月30日。大正天皇の「体調悪化」が初めて宮内省から公表された。
ただし、神経痛などとして言語障害や身体の傾斜といった真の病状は公表されなかった。
なお、 大正天皇本人は自身の病状を認識しておらず、 「普通である」と考えていた。
その後は必要最低限の面会以外は静養に専念し、 行事への参加等は皇太子裕仁親王や貞明皇后が代行することになる。

同年6月に松方正義内大臣が摂政設置を原敬首相に提起したが、 原は「誰もが納得する病状でなければ摂政設置は困難であり、 しばらく様子を見たほうが良い」と判断した。

西暦1920年(大正9年)から西暦1921年(大正10年)2月にかけ皇太子妃の内定取り消しをめぐる宮中某重大事件が発生するも無事解決した。

西暦1921年
西暦1924年(大正13年)
西暦1925年(大正14年)
西暦1926年(大正15年)年
西暦1927年(昭和2年)

皇子女おうじじょ

妻の貞明皇后との間に、 4人の皇男子を儲けた。
皇女子はなかった。
西暦1947年(昭和22年)に、 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指令によって、 伏見宮系の皇族と宮家が皇籍離脱した際、 昭和天皇と弟宮の三男子及び各妃とその子女が皇室に留まった。

続柄 称号 備考
第1子
(第一皇男子)
迪宮みちのみや裕仁ひろひと親王 西暦1901年
(明治34年)
4月29日
西暦1989年
(昭和64年)
1月7日
昭和天皇
良子女王(久邇宮家)と結婚(→香淳皇后)。
満87歳没
第2子
(第2皇男子)
淳宮あつのみや雍仁やすひと親王 西暦1925年
(大正14年)
12月6日
西暦1961年
(昭和36年)
7月23日
松平節子と結婚(→雍仁親王妃勢津子)。
秩父宮雍仁親王(宮号:秩父宮家)
満50歳没
第3子
(第3皇男子)
光宮てるのみや宣仁のぶひと親王 西暦1905年
(明治38年)
1月3日
西暦1987年
(昭和62年)
2月3日
徳川喜久子と結婚(→宣仁親王妃喜久子)。
高松宮宣仁親王(宮号:高松宮家)
断絶した有栖川宮家の祭祀を継承。
満82歳没
第4子
(第4皇男子)
澄宮すみのみやたかひと崇仁親王 西暦1915年
(大正4年)
12月2日
2016年
(平成28年)
10月27日
高木百合子と結婚(→崇仁親王妃百合子)。
三笠宮崇仁親王(宮号:三笠宮家)
満100歳没

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