儲君(ちょくん/もうけのきみ)
南北朝時代から江戸時代中期にかけては、
次期皇位継承者が決定されている場合であっても、
「皇太子」にならないこともあった。
これは、
当時の皇室の財政難などにより、
立太子礼が行えなかったためである。
通例であれば、
次期皇位承継者が決定されると同時に、
もしくは日を改めて速やかに立太子礼が開かれ、
次期皇位継承者は皇太子になる。
しかし、
立太子礼を経ない場合には、
「皇太子」ではなく、「儲君」(ちょくん、もうけのきみ)と呼ばれた。
南北朝時代において、
南朝では最後まで曲がりなりにも立太子礼が行われてきたとされている。
これに対して、
北朝においては、
後光厳天皇から南北朝合一を遂げた遙か後の霊元天皇に至るまで、
300年以上に亘って立太子を経ない儲君が皇位に就いている。
立太子礼が復活した後も、
儲君治定から立太子礼まで1年から数年の期間があり、
江戸時代では実質儲君治定が次期皇位承継者の決定であった。