小窓
大伴室屋(おおとものむろや)

作成日:2023/5/6

大伴室屋
おおとものむろや
時代  古墳時代
生没年 不詳
官位  大連
主君  允恭天皇→安康天皇→
      雄略天皇→清寧天皇→
      顕宗天皇
氏族  大伴連
父親  大伴武以?
母親 
配偶者
     
 

大伴室屋(おおとものむろや)  生没年不詳

古代日本の豪族。姓は連。 一般に流布している系図では大伴武以(武持・健持:たけもち)の子とされるが、 世代は合わない。
ほかに、武以と室屋の間に3代を記す系図もある。
子に談・御物がいたとする系図がある。
佐伯連・佐伯宿禰の祖。

允恭天皇から顕宗天皇まで5代の天皇に大連として仕えた。
允恭天皇仁徳天皇の皇子)の代、 妃の衣通郎姫のために藤原部を定める。
雄略天皇2年、 百済の池津媛を犯した石川楯を、 来目部に命じて処刑させる。
同23年8月、天皇崩御に際して後事を託され、 直後に起こった星川稚宮皇子の叛乱を東漢掬と共に鎮圧。
清寧天皇2年には、 諸国に天皇の御名代として白髪部舎人・膳夫(かしわで)・靱負(ゆげい)を置いた。
武烈天皇3年天皇の詔に従い、 役丁を徴発して城の形を水派邑(みまたのむら、現在の奈良県河合町か?)に築いた。