小窓
地震外国(小窓集)

作成日:2022/3/4

発生日付順に記載する。

1991/09/21:台湾大地震

921大地震は、 台湾時間の西暦1999年9月21日1時47分18秒(日本時間2時47分18秒、協定世界時20日17時47分18秒)に、 台湾中部の南投県集集鎮付近を震源として発生したモーメントマグニチュード(Mw)7.6(USGS、台湾中央気象局はMs7.3)の地震。 921大地震のほか、 台湾大地震集集大地震台湾中部大地震921集集大地震台湾大震災集集大震災台湾中部大震災などと呼ばれ、 台湾では20世紀で一番大きな地震であった。

地震により、台湾島の全域で揺れを感じた。 当時の台湾は西暦1996年以前の気象庁震度階級のうち、 震度7がないもの(つまり、震度5と震度6が強弱に分かれておらず、震度7はない階級)を採用していた。 各地の震度は名間郷と台中市で震度6、 台北市や高雄市など主要都市でも震度4で、 全域で少なくとも震度3以上、 集集鎮では震度7相当だったと推定される。 国外でも、 日本の与那国町祖納、竹富町西表で気象庁震度階級で震度2を観測した。
震度7:集集鎮、震度6:名間郷 台中市、震度4:台北市 高雄市 など

死者:2,415人、負傷者:11,306人、行方不明者:29人(台湾行政当局の発表)

特に被害が甚大だったのは震源の南投県と、 南投県に隣接する台中県だが、 震源から比較的離れた台北市と台北県でもビルが倒壊し多くの死傷者が出た。 台湾鉄路の集集駅駅舎は倒壊(西暦2001年に修復再建された)。 台湾の成長の原動力であるハイテク産業の中心、 新竹も被害を受け、この年の経済成長を下方修正せねばならなかった。

地震の原因となった断層付近は、比較的新しい時代にできた堆積層であった。 しかも、断層の傾きが(特に地下部分で)緩やかな衝上断層で、 断層の東側の地面が突き上げるように隆起した。 そのため、地表地震断層に近いところ、特に斜面沿いでは、 隆起した軟弱な地面が低い方に崩れ、 地滑りが多発して多くの建物や道路などが被害を受けた。 地面のスリップ方向調査で、 南西から東北東までさまざまな方向の移動が観測されたことなどはこれを裏付けている。 ...

救援

大地震が発生した夜、日本の国際緊急援助隊が最初に台湾入りし、 災害現場に急行した。世界各地より災害救助犬も派遣された。

各国から派遣された緊急救助隊の規模 また日本では、西暦1999年10月21日、 東京都大手町にて「加油台湾チャリティシンポジウム」が開催され、 深田祐介、小林よしのり、金美齢らがパネリストとして参加した。

記念

逸話

西暦2013年5月に李登輝は、 地震に際して真っ先に駆けつけたのは日本の救助隊であり、 また曽野綾子が会長を務めていた日本財団が3億円を寄付し、 その授与式で李登輝は曽野綾子に対して、 将来日本で何か起これば、 真っ先に駆けつけるのは台湾の救助隊であると約束した。

その後、東日本大震災が発生し、 日本台湾交流協会を通じて救助隊の派遣を申し出たが、話がまとまらず、 山梨県甲府市のNPOと話をつけて、救助隊を自力で被災地に向かわせたが、 中国や韓国の救助隊は到着しており、 到着後も「台湾からの救助隊を迎え入れる準備ができない」と外務省に言われる始末であり、
なぜ、当時の日本政府は台湾の救助隊を受け入れることを躊躇したのか。
『台湾は中国の一部』とする中国共産党の意向を気にしたとされる。
日本の台湾に対する気持ちはその程度のものだったのかと残念に思った。
日本に何かあれば、台湾の救助隊がいちばんに駆けつけるという曽野氏との約束を果たせなかったことは、 私にとって生涯の痛恨事である。

と吐露している。

2001/01/26:インド西部地震

インド西部地震(インドせいぶじしん)は、 西暦2001年1月26日にインド西部グジャラート州カッチ県で発生した大地震。 グジャラート地震とも呼ばれる。

この地震は内陸地殻内地震であり、 規模はモーメントマグニチュード7.7 (リヒタースケールでは6.9)、 震源の深さは約16kmであった。 死者2万人以上、負傷者15万人以上が出たほか、数十万人が家を失い、 100万棟以上の建物が倒壊または損傷した。

インド政府は、復興を急いだため各国から支援を積極的に要請したが、 それが仇となり、 違法建設などでギャングの勢力を強める結果となってしまった。 そのため、 インドは西暦2004年のスマトラ島沖地震で津波による被害を受けたが、 支援を拒否し、逆に他の被災国を支援する側に回った。

この地震はインドプレート内で起き、 プレート内地震としては世界最大級だと言われている。

2004/12/26:スマトラ島沖地震

スマトラ島沖地震は、 西暦2004年12月26日、 インドネシア西部時間7時58分53秒(50時58分)インドネシア西部、 スマトラ島北西沖のインド洋で発生したマグニチュード9.1-9.3の地震である。 西暦2005年にも「スマトラ島沖地震」が発生しているが、 単に「スマトラ島沖地震」といった場合、この地震を指すことが多い。 インド洋に面した各国の沿岸部に大津波による甚大な人的被害・物的被害をもたらしたことから、 別名『インド洋大津波』と呼ばれることも多い。

この地震による被害は、 スマトラ島を中心とするインドネシア、 およびマレーシア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、ソマリアなどにおよび、 被害者は死者22万人、負傷者13万人。

この地震におけるマグニチュード9.1は、 西暦1900年以降でチリ地震、 アラスカ地震に次いで3番目に大きい規模である。これはモーメントマグニチュード(Mw)の指標であり、ハイチ地震(Mw7.0)の約1,400倍、2003年十勝沖地震(Mw8.0)の約40倍、東北地方太平洋沖地震(Mw9.0)の約1.4倍(アメリカ地質調査所 (USGS) ではMw9.1で同程度)に相当するエネルギーである。

また、アメリカ地質調査所の暫定発表でマグニチュード8.1と発表されていたが、 次にマグニチュード8.5、マグニチュード8.9と発表されたあと、 9.0に修正された。 さらにその後、USGSはマグニチュード9.1、 アメリカ・ノースウェスタン大学などの研究グループは9.3に再修正している。

2005/03/28:スマトラ島沖地震

スマトラ島沖地震は、 西暦2005年3月28日16時9分36秒(UTC、現地時間 午後11時9分36秒)にスマトラ島沖で発生した地震である。 ニアス島付近で発生したことからニアス島沖地震とも呼ばれる。

西暦2004年12月26日のスマトラ島沖地震の余震がだいぶ収まり、 規模も小さくなってきた西暦2005年3月28日16時9分36秒 (UTC) に、 同地震の震源の南東約250km沖で、 モーメントマグニチュード (Mw) 8.6の地震が発生した。 この地震は、スマトラ島沖地震の余震ではなく、 別の地域を震源とする誘発地震(広義の余震とも呼ばれる)である。

2006/07/17:ジャワ島南西沖地震

ジャワ島南西沖地震は、 西暦2006年7月17日、 インドネシアのジャワ島南西部沖で8時19分28秒(UTC)(現地時間 午後3時19分28秒)に発生した地震である。

アメリカ合衆国地質調査所は、 地震の規模をモーメントマグニチュード7.7と推定。 インドネシア気象地理庁によれば、 震源地はバンドンの南約620 kmのインド洋で、震源の深さは32 km。 当初、津波の規模は2-3mとの報道が見られたが、 その後の名古屋大学などの痕跡調査により、 7m以上の規模であることが判明している。

震源に近い場所では直接的な揺れに加え、海岸に津波が押し寄せたことにより、 多くの被害を出した。 政府当局の発表によれば300人以上の死者が生じ、 30,000人が一時的に避難をするなどの災害となった。 死者が集中したのは、 パンガンダラン市のリゾート地パガンダランビーチで、 200人以上の死者が出ていると推測されている(同地を訪れた観光客の被害者数が把握できていないため)。

日本は、インドネシア政府からの援助物資の支援要請を受け、 国際協力機構(JICA)が7月19日にテントや毛布、 給水施設などの物資を供与している。

2007/03/06:スマトラ島中部の地震

スマトラ島中部の地震  西暦2007年3月6日

インドネシア・スマトラ島中部でマグニチュード6.3の地震。

多くの建造物が倒壊。死者68人、負傷者460人。

2007/04/02:ソロモン諸島付近

ソロモン諸島付近   西暦2007年4月2日   マグニチュード8.1の巨大地震。

周辺海域で津波による被害が発生し、死者・行方不明者112人。

2007/08/16:ペルー地震

ペルー地震  西暦2007年8月16日23時40分58秒(UTC)  現地時間同日18時40分58秒
モーメントマグニチュード(Mw)8.0
死者510人

ペルー地震は、 西暦2007年8月15日23時40分58秒(UTC、現地時間同日18時40分58秒)にペルー沖で発生した、 モーメントマグニチュード(Mw)8.0の地震。 揺れは約2分間続いた。 震源はリマの南南西150km、 震源の深さは30.2km。

イカ県にあるピスコ、イカ、チンチャアルタと、 リマ県のクエンカが最も被害を受けた。 さらに、地震は首都リマでも感じられ、ガラスが割れる被害が出た。 また、プカルバ、イキトス、コンタマナ、トルヒーリョ、カハマルカといったペルーの他の都市でも同様の被害があった。

イカでは教会が倒壊し、 ミサに出席していた17人が死亡、 70人が負傷した。 また約85,000戸が倒壊した。 リマの南東260kmにある都市ピスコでは、 家屋の約80%が倒壊し、430人の市民が死亡し、 うち100人が市の広場にある聖堂の倒壊に巻き込まれて死亡した。 ペルー政府は死者510人と発表した。

2007/09/12:スマトラ島沖地震

スマトラ島沖地震(2007年) 西暦2007年9月12日

スマトラ島沖地震は、 西暦2007年9月12日インドネシア西部時間18時10分26秒に、 スマトラ島の南部沖で発生した地震である。 モーメントマグニチュード (Mw) は8.5。

インドネシアのブンクル州北部で5m以上、 同パダンで1.1m、 モーリシャスのロドリゲス島とセーシェルのポートラルーで0.6mなど、 インド洋の各地で津波を観測した。

翌朝にもM7.9の大規模な余震が発生するなど、 その後も複数回の大きな余震が発生した。 9月15日までに確認されている死者は17名となったが、 この中に津波による死者は居なかった。

なお、 西暦2007年3月にもスマトラ島沖でM6.4とM6.3の地震が起こり、 70人以上の死者が出ている。 その他 スマトラ島付近では西暦2000年以降、 大きな地震が多発している。 特に、 西暦2004年のスマトラ島沖地震を皮切りにM7から8クラスの地震が相次ぎ、 ジャワ島沖まで及んでいる。

2008/05/12:四川大地震

四川大地震   西暦2008年5月12日14時28分1秒(CST:中国標準時)
モーメントマグニチュード(Mw)7.9
死者:6万9197人、負傷者:37万4176人、行方不明:1万8222人(7月22日の中国民政部の報告)
死者:8万7476人(国際連合の国際防災戦略(ISDR))
家屋倒壊:21万6千棟、損壊家屋:415万棟

中華人民共和国中西部に位置する四川省アバ・チベット族チャン族自治州汶川県で発生した。

中国地震局は「汶川地震(ウェンチュアンディジェン、ぶんせんじしん)」という名称を基本として、 広域名の四川省や地震規模を組み合わせた「四川汶川8.0級地震」とも呼び、 中国国内の報道などでは歴史的事件の名称でよく用いられるような発生日に基づいた「512大地震」とも呼んでいる。

2024/04/03:台湾花蓮地震

台湾花蓮地震 西暦2024年4月3日7時58分台湾標準時(TST)、日本標準時では8時58分

花蓮地震は、 中華民国(台湾)花蓮県東方の沖合で発生した、 ローカル・マグニチュード7.2、 気象庁マグニチュード7.7の大地震。 台湾では西暦1999年921大地震(集集地震)以降で最も大きな地震となった。

台湾島全土のほか、 澎湖諸島、馬祖島、金門島といった台湾海峡の島嶼でも有感となった。 この地震により18人が死亡した。 また、1145人が負傷し、2人が行方不明となった。

日本の気象庁は9時1分(JST)に沖縄県の沖縄本島地方、 宮古島・八重山地方に津波警報を発表し、 同県与那国町久部良で9時18分に27 cm、 宮古島市平良で10時51分に25 cm、 石垣市石垣港で10時42分に17 cmの津波が観測された。 津波警報は10時40分に津波注意報に切り替えられた。 その後、12時に津波注意報は解除された。 沖縄県の沿岸に津波警報が発表されたのは、 西暦2011年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)以来13年ぶりである。

フィリピンのフィリピン火山地震研究所は8時17分(PST)、 バタン諸島・カガヤン州・北イロコス州・イサベラ州に対し、 高い津波が予想されるとして津波警報を発表した。

2009/09/29:サモア沖地震

2009年サモア沖地震 西暦2009年9月29日サモア時間午前6時48分(日本時間午前2時48分)

西暦2009年9月29日に南太平洋・サモア諸島近海で発生した地震である。 発生時刻はサモア時間午前6時48分(日本時間午前2時48分)、 震源地はサモアの首都アピアの南沖190km、 震源の深さ18km、モーメントマグニチュード(Mw)8.1。 この地震により、4.5~6mの津波が4回押し寄せ、 192人が死亡した。 被災地であるサモアと米領サモアおよびトンガでの死者の合計が192人に達し、 70の村落が壊滅し余震が10回以上にのぼり、 数万人が家屋を失ったと伝えた。

太平洋プレートとインド・オーストラリアプレートの境界付近は世界で最も地震活動が活発な地域の一つであるが、 今回の地震はこれらのプレート境界であるトンガ海溝の北端で発生したものである。 USGS(アメリカ地質調査所)は、 太平洋プレート側に断層が生じて地震が発生した海洋プレート内地震、 いわゆるアウターライズ地震と推測している。 その後、 この地震の前後どちらかにプレート境界の地震が発生していたとの推測がなされている。 この地震の震源の南側では西暦1995年4月7日にM8.0、 西暦2006年5月3日にM8.0、 西暦2009年3月19日にM7.7の地震が発生している。

2009/09/30:スマトラ島沖地震

2009年スマトラ島沖地震  西暦2009年9月30日

西暦2009年9月30日10時16分9秒(UTC)にインドネシア、 スマトラ島沖で発生したモーメントマグニチュード (Mw) 7.5の地震である。 地震の種類としては西暦2004年西暦2005年西暦2007年のスマトラ島沖地震(プレート境界型)と異なり、 海洋プレート内地震(スラブ内地震)となっている。

震源はスマトラ島パダン西北西60kmの海底で、 深さは81km。 西暦2009年10月2日現在、 少なくとも1100人が死亡したとされ、 1000人を超える人々が建造物の下敷きになっていると考えられている。

また、本震翌日(現地時間10月1日午前8時52分25秒)には、 スマトラ中央部、 ジャンビ州、 スンガイペヌーの南東46kmの地点でマグニチュード6.6の地震が起きている。 震源の深さは15km。

2009/10/08:バヌアツ地震

バヌアツ地震  2009年10月8日バヌアツ時間午前9時3分

バヌアツ地震とは、 2009年10月8日にバヌアツ沖で発生した地震である。 発生時刻はバヌアツ時間の午前9時3分、 震源地はエスピリトゥサント島ルーガンビル北北西295キロメートル、 震源の深さは約35キロメートル、 マグニチュードは7.7。

太平洋津波警報センターはこの地震発生に際し、 震源付近の太平洋沿岸に津波警報を発令し、 避難を呼びかけた。 その後、ルーガンビルで4センチから10センチの津波が観測された。

また、バヌアツ時間の午前9時18分にはマグニチュード7.8、午前10時13分にはマグニチュード7.4の余震が発生している。

2010/01/12:ハイチ地震

2010年ハイチ地震  西暦2010年1月12日ハイチ時間16時53分(UTC21時53分)

2010年ハイチ地震は、 ハイチ共和国で起こったマグニチュード (M) 7.0の地震である。

地震の規模の大きさやハイチの政情不安定に起因する社会基盤の脆弱さが相俟って、 死者が31万6千人程に及ぶなど、 単一の地震災害としてはスマトラ島沖地震に匹敵する現代空前の大規模なものとなった。

震源はハイチの首都ポルトープランスの西南西25km、 深さは13km、マグニチュード(モーメントマグニチュード Mw)は7.0と推定されている(アメリカ地質調査所)。 この地域は北アメリカプレートとカリブプレートの衝突型境界の近傍であり、 震源が浅い典型的な内陸地殻内地震(直下型地震)である。 この地震を起こした断層は、 エンリキロ-プランテインガーデン (Enriquillo-Plaintain Garden) 断層系の中の断層の1つと推定されている。 地震のメカニズムは、 逆断層成分を持つ左横ずれであった。 地震波からの推定では、 断層の滑り量は最大で約4mであった。 ポルトープランスとその郊外では改正メルカリ震度階級VII - X相当の揺れがあったと推定されている。

2010/02/27:チリ地震

2010年チリ地震  西暦2010年2月27日現地夏時間3時34分14秒(UTC:6時34分14秒)

チリ地震は、 チリ中部沿岸で西暦2010年2月27日現地夏時間3時34分14秒(UTC:6時34分14秒)に発生した巨大地震である。 地震の規模は、 USGS(アメリカ地質調査所)によれば、 モーメントマグニチュード (Mw)で8.8だった。 西暦1900年以降、 チリでは西暦1960年5月のチリ地震に次ぐ規模、 世界でも発生当時では5番目の規模の地震となった。

USGS(アメリカ地質調査所)によれば、 震央はサンティアゴの南西328km、 コンセプシオンの北北東107km、 震源の深さは35km、 マグニチュードはMw8.8(8.3から上方修正)だった。 太平洋津波警報センターは、 27日6時46分(UTC)の第1報でM8.5、第2報でM8.6、第3報M8.8と報じた。

日本の気象庁は気象庁マグニチュードを当初Mj8.5と発表、 その後Mj8.6に修正、 さらにモーメントマグニチュードがMw8.8と発表した。 東京大学地震研究所は遠地実体波から、 震源断層の長さは450km - 500km、 すべり量は最大8m、 Mw8.6と算出した。 史上最大の西暦1960年のチリ地震 (Mw9.5) は断層長600km - 1000km程度とされており、 今回はその約半分だった。

チリ内務次官庁の発表によると死者数は525人、行方不明者25人。

CNNによるとサンティアゴで大規模な停電が発生。 チリペルーなどでは津波警報が発表された。 チリ・カトリック大学とユネスコの合同現地調査によれば、 ビオビオ州南部のティルア沿岸では津波の高さが30メートル以上に達していた事が明らかになった。

2010/04/14:青海地震

青海地震(せいかいじしん)  西暦2010年4月14日、現地時間7時49分(13日23時49分 UTC

青海地震は、 中国西部、 青海省玉樹チベット族自治州玉樹県で発生した地震である。 震源の深さは約17km、 地震の規模はモーメントマグニチュード(Mw)6.9。 中国地震局は表面波マグニチュード(Ms)7.1。

余震が続いており、 現地時間4月14日夜までに18回の余震が発生している。 米国地質調査所によれば、

西暦2010年4月25日午前0時時点で、 死者2698人、 行方不明者270人、 負傷者は約1万2315人に上っている。 家屋の被害も震源近くでは90%以上が倒壊していると報じられている。 電気関係や空港からの道路などインフラ設備にも大きな被害が出た。 民家1万5000軒が倒壊し、 約10万人が住む家を失った。

2011/02/22:カンタベリー地震

カンタベリー地震  西暦2011年2月22日12時51分(現地時間)

カンタベリー地震は、 ニュージーランドのカンタベリー地方で発生したモーメントマグニチュード(Mw)6.1の地震である。 特に被害を受けた都市クライストチャーチの名を取って「クライストチャーチ地震」「リトルトン地震」、 また単に「ニュージーランド地震(NZ地震)」と呼称される場合もある。

この地震により、日本の富山県の外国語学校留学生の関係者が多数死亡した。

震源はクライストチャーチ近郊のリトルトン付近で、 震源の深さは約5kmである。 この地震以降、2,000回以上の余震を記録している。

同地域では西暦2010年9月4日にもマグニチュード7.0の地震が発生しており、 関連も指摘される。 西暦2010年の地震の最大余震との見方もあるが、 詳しい関連性は分かっていない。 ただし、 今回の地震は西暦2010年の地震の震源断層(太平洋プレート内)の延長線上における地震空白域となっていた活断層で発生している。 また、今回の地震から4ヶ月近く経過した西暦2011年6月にも同地域でM6.0の地震(カンタベリー地震 (2011年6月))が発生している。

また西暦2011年12月23日、 2回にわたってM5.8の地震が発生した。

2011/10/23:トルコ東部地震

トルコ東部地震  西暦2011年10月23日13時40分(UTC+3、EEST(東ヨーロッパ夏時間))

トルコ東部地震は、 トルコ東部のイラン国境に近いヴァン県の県都ヴァン近郊で発生したマグニチュード7.1(USGS暫定値)とされる地震である。 発生当初、 トルコのカンディルリ天文台地震観測所は、 500人から1000人の死者が出る可能性があるとの見解を発表した。

アナトリアプレート内の地震ではなく、 東側のユーラシアプレートとアラビアプレートとの衝突帯域で発生した地震。 西暦1976年には近隣でM7.3の地震も発生している[要出典]。

トルコのベシル・アタライ副首相によれば、 建物約45棟が倒壊した。 ワン近郊のエルジシュでは、 学生寮を含む約30棟が崩れ落ち、 近隣住民が手作業でがれきを除く作業をしている。 エルドアン首相は、 同日予定を変更して被災地に向かうことを決め、 軍を動員して救援活動を指示した。 また、ワン空港が大きな被害を受けた。

被災地域に於ける通信状態は悪化し、停電も発生している。