因幡の白兎とは、
日本神話(古事記)に出てくるウサギ、
または、
このウサギの出てくる物語の名。
『古事記』では「稻羽之素菟」(稲羽の素兎)と表記。
この説話は、 「大国主の国づくり」の前に、 なぜ他の兄弟神をさしおいて大国主が国をもったかを説明する一連の話の一部である。
この説話は、
『先代旧事本紀』にあって
『日本書紀』にはない。
『日本書紀』では、
本文でない一書にある「ヤマタノオロチ退治」の直後に「大国主の国づくり」の話が続く。
また、
『因幡国風土記』は現存せず、
『出雲国風土記』に記載はない。
『古事記』上巻(神代)にある大穴牟遲神(大国主神)の求婚譚の前半に「稻羽之素菟」が登場し、 大穴牟遲神に「あなたの求婚は成功するでしょう」と宣託言霊のような予祝を授ける(説話の後半は大国主の神話#八十神の迫害を参照)。
今日では、 「稻羽之素菟(いなばのしろうさぎ)が淤岐島(おきのしま)から稻羽(いなば)に渡ろうとして、 和邇(ワニ)を並べてその背を渡ったが、 和邇に毛皮を剥ぎ取られて泣いていたところを大穴牟遲神(大国主神)に助けられる」という部分だけが広く知られている。
『古事記』中の大國主神の文のうち稻羽之素菟(稲羽の素兎)に関する内容の現代語訳と原文を示す。
「気多(けた)の前」に来たとき、
裸の兎(あかはだのうさぎ)が伏せっていた。
兎は、
八十神に「海塩を浴び、山の頂で、強い風と日光にあたって、横になっていることだ」と教えられた通りに伏せていたが、
海塩が乾くにつれ、
体中の皮がことごとく裂けてきて、
痛みに苦しんで泣いていると、
最後に現れた大穴牟遲神が「なぜ泣いているの」と聞いた。
菟は「私は隠岐の島からこの地に渡ろうと思ったが、
渡る手段がありませんでした。
そこで、
ワニザメ(和邇)を欺いて、
『私とあなたたち一族とを比べて、どちらが同族が多いか数えよう。できるだけ同族を集めてきて、この島から気多の前まで並んでおくれ。
私がその上を踏んで走りながら数えて渡ろう』と誘いました。
すると、
欺かれてワニザメは列をなし、
私はその上を踏んで数えるふりをしながら渡ってきて、
今にも地に下りようとしたときに、私は『お前たちは欺されたのさ』と言いました。
すると最後のワニザメは、
たちまち私を捕えてすっかり毛を剥いでしまいました。
それを泣き憂いていたところ、
先に行った八十神たちが『海で塩水を浴びて、風に当たって伏していなさい』と教えたので、
そうしたところ、
この身はたちまち傷ついてしまったのです」といった。
そこで、
大穴牟遲神が兎に「今すぐ水門へ行き、
水で体を洗い、
その水門の蒲(がま)の穂をとって敷き散らして、
その上を転がって花粉をつければ、
膚はもとのように戻り、
必ず癒えるだろう」と教えたので、
そうすると、
その体は回復した。
これが、稲羽の素兎(しろうさぎ)である。
その兎は「八十神は八上比賣を絶対に得ることはできません」と大穴牟遲神に言った。
そのとおり、
八上比賣は八十神に「あなたたちの言うことは聞かない」とはねつけ、
大穴牟遲神に「袋を背負われるあなた様が、私を自分のものにしてください」と言ったため、
今では兎神とされる。