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伊予国(いよのくに)

作成日:2023/3/17

伊予国(いよのくに)/ 予州(よしゅう) 現在の愛媛県全域、高知県のごく一部。

南海道の一国。 国力区分は上国、 遠近区分は遠国
別名の「予州」は伊豆国(豆州)や伊勢国(勢州)と区別するため2文字目を用いる。「伊州」は伊賀国。

律令制において、 伊余国造の領域に加え、 久味国造、風速国造、怒麻国造、小市国造の領域を合わせて、成立した。

三島領七島と呼ばれた大山祇神社領のうち、 文明年間から慶長年間までの間、 下島(大崎下島)と豊島が安藝国豊田郡に編入となる。

赤:伊予国 緑:南海道。(Wikipediaのsvgファイルへリンク)

「伊予」の名称と語源

伝統的には「伊豫」の名称であり、「伊予」「伊与」の表記も用いられた。 常用漢字による現代文表記では「伊予」(豫→予)である。
「伊予」の語源については、諸説がある。

温泉説
「よ」は道後温泉の「ゆ(湯)」から転訛したものであり、 それに発語の「い」を付して「いよ」になったという説である。 一時は定説となっていたが、 研究者の吉田茂樹が、 『延喜式』に「伊予郡」と「温泉郡」の2つの郡名があり、 伊予が道後温泉を指すならば別に温泉郡がある説明がつかないと指摘したことから、 今日は否定されているとされる。 また、寺内浩他編の『愛媛県の不思議辞典』も、 上代特殊仮名遣からみて、 一般的には「ゆ」は「よ」には音韻変化しないとしてこの説を否定する。
湧水説
研究者の志賀剛の説では、 古代人は、温泉以外に湧水も「いゆ」と呼んでおり、 これが「いよ」になったとする。 古代、水の湧き出ずる所は、特別な地として扱われるようになり、 これが湧水の周辺を指す小地域としての地名から、 より広い地域、 さらには『古事記』にいう「伊予の二名之島」=四国を指す地名となっていったというものである。
坪内寛もこの説を支持し、伊予神社(愛媛県伊予郡松前町)で、 同神社は「正四位上」の位を朝廷から授けられた由緒正しい神社であり、 祭神を愛比売命(えひめのみこと)と月夜見命(つきよみのみこと)とする。 「愛比売」は『古事記』に、 「伊予を愛比売といひ」とあるように愛媛の古名である。 また、同名の伊予市上野地区にある神社の旧境内跡地には弥光井(いこい)神社(今日では湧水跡のみ)がある。 古代、この地はゆるやかな傾斜地であり、 水源に乏しかったことから、 湧き水が特別重宝されたと推察されていることから、 弥光井神社が伊予の語源であると主張する。
弥説
谷川士清の『倭訓栞』に載せる説である。 伊豫ノ二名ノ洲と呼ばれた四国は国生み神話では淡路島の次に生まれたので、 「いよ」は物の重なることを表す「弥」(いや)の意味であるという。
預説
『豫章記』に載る説である。 「天神第六代面足惶根尊」が伊豫国を支配する際に「(伊豫国を)伊(彼に)豫(預ける)」との詔があったという。 しかし、「いよ」が倭語であったとすれば、 万葉仮名による仮借字の字義で解釈しようとするのは無意味である可能性がある。