小窓
日本の地震(1000年代前半) 西暦1000年~西暦1499年

作成日:2024/8/18

発生日付順に記載する。

1096/12/11:永長地震

永長地震(えいちょうじしん)
  発生:嘉保3年11月24日(ユリウス暦1096年12月11日、グレゴリオ暦1096年12月17日)
  マグニチュード(M)8.4 前後

平安時代後期の嘉保3年11月24日(ユリウス暦1096年12月11日)に起きたM8.4前後と推測される巨大地震。
南海トラフ沿いの巨大地震と推定されている。
東海道沖の地震と考えられてきたが、 本地震が南海道沖の地震も含むとする説も出されている。

この地震は嘉保(かほう)年間(西暦1095年1月23日 - 西暦1097年1月3日)に発生したが、 この天変地異を期に約1ヶ月後の12月17日(ユリウス暦1097年1月3日)に永長に改元され、 年表上では永長元年となることから永長を冠して呼ばれる。

『後二条師通記』、 『中右記』、 『百練抄』および『康富記』などに地震被害の記録がある。

約2年2ヵ月後に康和地震が発生しており、 本地震とペアをなす南海道沖の地震と考えられてきたが、 康和地震を南海道沖の地震とするには『兼仲卿記』紙背文書の成立時期などいくつかの疑義があり、 本地震が土佐の田苑の沈降を引き起こした南海道沖の地震をも震源域に含む可能性が唱えられている。

1099/02/16:康和地震

康和地震  発生:西暦1099年2月16日  M 6.4前後

康和地震(こうわじしん)は、 平安時代後期の承徳3年正月24日(ユリウス暦1099年2月16日・グレゴリオ暦1099年2月22日)に発生したM6.4前後と推測される、 畿内に被害記録が残る地震である。 南海道沖の巨大地震とする説も定着していたが、 疑義が唱えられている。 この地震の約2年2か月前には、 東海道沖の巨大地震と推定される永長地震があった。

この地震は承徳(じょうとく)年間(西暦1097年12月27日 - 西暦1099年9月15日)に発生したが、 この天変地異やこの年の夏に流行した疫病を期に康和と改元され、 年表上では康和元年に相当することから「康和」を冠して呼ばれる。 『後二条師通記』および『広橋本兼仲卿記』などに地震被害の記録がある。

もともと、 畿内付近の地震とされていたが、 土佐の被害記録の発見により南海道沖の地震と推定されることになった。 しかし、 南海道沖の地震とするには疑わしいとする疑義が提唱され、 本地震が南海道沖の地震でないとするならば、 地震後の京都における余震の記録がほとんど無いことから、 例えば西暦1952年の吉野地震のようなフィリピン海プレートスラブ内地震の可能性もあるとされる。

1185/08/06:文治地震

文治地震(ぶんじじしん)   西暦1185年8月6日ユリウス暦正午12時(元暦2年7月9日午刻)

文治地震は、 元暦2年7月9日午刻(ユリウス暦1185年8月6日12時(正午)ごろ、先発グレゴリオ暦1185年8月13日)に日本で発生した大地震である。

地震は元暦年間に発生したが、 この天変地異により、 翌月の8月14日に文治に改元されたことから、 一般には、元暦ではなく文治を冠して呼ばれることが多い。 この改元について『百錬抄』では「十四日甲子、有改元、依地震也、(地震による)」と記述しているが、 異説もあり、 『一代要記』には「八月十四日改元、依兵革也、」とあり兵革によるともされる。 しかし中世の日本においては合戦や政変によるものより、 地震や疫病流行など自然現象のもたらす災害による改元の方が多かった。

この地震に関する古記録は当時の都や政治の中心地であった京都や鎌倉における文書にほぼ限られており断片的な記録しか有しない歴史地震であるため、 その震源域については諸説ある。



関連項目
用語集
地震
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地震日本1000年代後半
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地震外国

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