『三国志』の中に「倭人伝」という独立した列伝が存在したわけではなく、
『魏書』巻三十「烏丸鮮卑東夷伝」の一部に倭の記述がある。
従って倭人に関する条のみならず、
東夷伝のすべてを通読しなければ意味がないという考え方もある。
さらに、 『三国志』の研究者である渡邉義浩は、
と述べている。
中国の正史中で、はじめて日本列島に関するまとまった記事が書かれている。
『後漢書』東夷伝のほうが扱う時代は古いが、
『三国志』魏志倭人伝のほうが先に書かれた。
なお講談社学術文庫『倭国伝』では『後漢書』を先に収録している。
当時の倭(後の日本とする説もある)に、
女王の都する邪馬台国(邪馬壹国)を中心とした国が存在し、
また女王に属さない国も存在していたことが記されており、
その位置・官名、生活様式についての記述が見られる。
また、
本書には当時の倭人の風習や動植物の様子が記述されていて、
3世紀の日本列島を知る史料となっている。
しかし、
必ずしも当時の日本列島の状況を正確に伝えているとは限らないことから、
邪馬台国に関する論争の原因になっている。
また一方で、
岡田英弘など『魏志倭人伝』の史料としての価値に疑念を投げかける研究者もいないではない。
岡田は、位置関係や里程にズレが大きく信頼性に欠けるとの見解を述べている。
現存する数種の版本のうち、
民国時代の20世紀の影印本「百衲本」(南宋期の版本の影印)が最も善本とされる。
活字本としては現在の中国で諸本を校訂し、
句読点を付した「中華書局本」が(初版1959年、北京)、日本でも入手可能である。また、返り点をつけたものとして、講談社学術文庫『倭国伝』(藤堂, 竹田 & 影山 2010)がある。
「倭人伝」は、
影印本の写真版を見れば段落もなく書かれているが、
中華書局版と講談社学術文庫版では6段落に分けられている。
内容的には、大きく3段落に分けて理解されている。
元々は男子を王として70 - 80年を経たが、倭国全体で長期間にわたる騒乱が起こった(いわゆる「倭国大乱」と考えられている)。そこで、卑弥呼と言う一人の女子を王に共立することによってようやく混乱を鎮めた。 卑弥呼は、鬼道に事え衆を惑わした。年長で夫はいなかった。弟が国政を補佐した。王となって以来人と会うことは少なかった。1000人の従者が仕えていたが、居所である宮室には、ただ一人の男子が入って、飲食の給仕や伝言の取次ぎをした。樓観や城柵が厳めしく設けられ、常に兵士が守衛していた。 卑弥呼は景初2年(238年)以降、帯方郡を通じて魏に使者を送り、皇帝から「親魏倭王」に任じられた。正始8年(247年)には、狗奴国との紛争に際し、帯方郡から塞曹掾史張政が派遣されている。「魏志倭人伝」の記述によれば朝鮮半島の国々とも使者を交換していた。 正始8年(247年)頃に卑弥呼が死去すると塚がつくられ、100人が殉葬された。その後男王を立てるが国中が服さず更に殺し合い1000余人が死んだ。再び卑弥呼の宗女(一族or宗派の女性)である13歳の壹與を王に立て国は治まった。先に倭国に派遣された張政は檄文をもって壹與を諭しており、壹與もまた魏に使者を送っている。
3世紀半ばの壹與の朝貢の記録を最後に、5世紀の義熙9年(413年)の倭王讃の朝貢(倭の五王)まで150年近く中国の史書からは倭国に関する記録はなくなる。この間を埋めるものとして広開土王碑がある、碑には391年に倭が百済、新羅を破り、高句麗の第19代の王である広開土王(好太王)と戦ったとある。
原 文 | 訳 文 |
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倭人在帶方東南大海之中 依山㠀爲國邑 舊百餘國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國。 |
倭人は、
帶方の東南の大海のなかにある。
山の多い島によって国や村をなしている。
もとは百余国であった。 漢のとき中国に朝見するものがあった。 いま、使者と通訳の通交するのは、三十か国である。 帯方郡から倭に行くには海岸に沿って船で進み、韓国を通過して南に向かったり、東に向かったりしながら倭の北岸の狗邪韓国に到着する。 そこまでが七千余里である。 |
從郡至倭、循海岸水行、歷韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國、七千餘里。 | |
始度一海千餘里、至對馬國、其大官曰卑狗、副曰卑奴母離、所居絶㠀、方可四百餘里。土地山險、多深林、道路如禽鹿徑。有千餘戸。無良田、食海物自活、乗船南北市糴。 | |
又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國。官亦曰卑狗、副曰卑奴母離。方可三百里。多竹木叢林。有三千許家。差有田地、耕田猶不足食、亦南北市糴。 | |
又渡一海千餘里、至末廬國。有四千餘戸、濱山海居。草木茂盛、行不見前人。好捕魚鰒、水無深淺、皆沈没取之。 | |
東南陸行五百里、到伊都國。官曰爾支、副曰泄謨觚・柄渠觚。有千餘戸。丗有王、皆統屬女王國。郡使往來常所駐。 | |
東南至奴國百里。官曰兕馬觚、副曰卑奴母離。有二萬餘戸。 | |
東行至不彌國百里。官曰多模、副曰卑奴母離。有千餘家。 | |
南至投馬國、水行二十曰。官曰彌彌、副曰彌彌那利。可五萬餘戸。 | |
南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。 官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳鞮。可七萬餘戸。 | |
原 文 | 訳 文 |
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自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳。 次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、 次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、 次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、次有鬼奴國、 次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、次有烏奴國、次有奴國。 此女王境界所盡。 | |
其南有狗奴國。男子爲王、其官有狗古智卑狗。不屬女王。 | |
原 文 | 訳 文 |
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男子無大小、皆黥面文身 | |
自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫 | |
夏后少康之子、封於會稽、斷髪文身、以避蛟龍之害。今倭水人好沈没捕魚蛤、文身亦以厭大魚水禽、後稍以爲飾。 | |
諸國文身各異、或左或右、或大或小、尊卑有差 | |
計其道里、當在會稽東冶之東 | |
其風俗不淫。男子皆露?、以木緜頭。其衣橫幅、但結束相連、略無縫。婦人被髪屈?、作衣如單被、穿其中央、貫頭衣之。 | |
種禾稻・紵麻、蠶桑緝績、出細紵・縑・緜。 | |
其地無牛馬虎豹羊鵲 | |
兵用矛・楯・木弓。木弓短下長上、竹箭或鐵鏃或骨鏃。所有無與?耳・朱崖同。 | |
倭地温暖、冬夏食生菜、皆徒跣。 | |
有屋室、父母兄弟臥息異處。以朱丹塗其身體、如中國用粉也。食飲用?豆、手食。 | |
其死、有棺無槨、封土作冢。始死停喪十餘曰。當時不食肉、喪主哭泣、他人就歌舞飲酒。已葬、擧家詣水中澡浴、以如練沐。 | |
其行來渡海詣中國、恒使一人、不梳頭、不去?蝨、衣服垢汚、不食肉、不近婦人、如喪人。名之爲持衰。若行者吉善、共顧其生口財物。若有疾病、遭暴害、便欲殺之、謂其持衰不謹。 | |
出真珠・青玉。其山有丹、其木有?・杼・?樟・?・櫪・投橿・烏號・楓香、其竹篠・?・桃支。有薑・橘・椒・?荷、不知以爲滋味。有?猴・黒雉。 | |
其俗舉事行來、有所云爲、輒灼骨而卜、以占吉凶。先告所卜、其辭如令龜法、視火坼占兆。 | |
其會同坐起、父子男女無別。人性嗜酒。見大人所敬、但搏手以當脆拝。其人壽考、或百年、或八九十年 | |
其俗、國大人皆四五婦、下戸或二三婦。婦人不淫、不?忌。不盗竊、少諍訟。其犯法、輕者没其妻子、重者滅其門戸及宗族。尊卑各有差序、足相臣服。 | |
收租賦、有邸閣。 | |
國國有市、交易有無使大倭監之。自女王國以北、特置一大率、檢察諸國、諸國畏憚之。常治伊都國、於國中有如刺史。 | |
王遣使詣京都、帶方郡、諸韓國。及郡使倭國、皆臨津捜露、傳送文書、賜遣之物詣女王、不得差錯 | |
下戸與大人相逢道路、逡巡入草。傳辭說事 或蹲或跪 兩手據地 爲之恭敬 對應聲曰噫 比如然諾 | |
其國本亦以男子爲王、住七八十年、倭國亂、相攻伐?年、乃共立一女子爲王、名曰卑彌呼。事鬼道、能惑衆、年已長大、無夫壻、有男弟佐治國。自爲王以來、少有見者、以婢千人自侍、唯有男子一人、給飲食、傳辭出入。居處宮室、樓觀、城柵嚴設、常有人持兵守衞。 | |
女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種。又有侏儒國在其南、人長三四尺、去女王四千餘里。又有裸國、黒齒國、復在其東南、船行一年可至 | |
参問倭地、絶在海中洲㠀之上、或絶或連、周旋可五千餘里 | |
原 文 | 訳 文 |
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景初二年六月 倭女王遣大夫難升米等詣郡 求詣天子朝獻 太守劉夏遣吏將送詣京都 | |
其年十二月 詔書報倭女王 曰(中略) | |
正始元年 太守弓遵遺建中校尉梯儁等 奉詔書印綬詣倭國 拜假倭王 并齎詔賜金帛 錦 罽 刀 鏡 采物 倭王因使上表答謝恩詔 | |
其四年 倭王復遺使大夫伊聲耆 掖邪狗等八人 上獻生口 倭錦 絳青縑 緜衣 帛布 丹木 拊 短弓矢 掖邪狗等壹拜率善中郎將印綬 | |
其六年 詔賜倭難升米黃幢 付郡假授 | |
其八年 太守王頎到官 倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和 遺倭載斯 烏越等詣郡 說相攻擊狀 遣塞曹掾史張政等 因齎詔書 黃幢 拜假難升米 爲檄告喻之 卑彌呼以死 大作冢 徑百餘歩 狥葬者奴碑百餘人 更立男王 國中不服 更相誅殺 當時殺千餘人 復立卑彌呼宗女壹與年十三爲王 國中遂定 政等以檄告喻壹與 壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人 送政等還 因詣臺 獻上男女生口三十人 貢白珠五千孔 青大句珠二枚 異文雜錦二十匹 | |
原 文 | 訳 文 |
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