小窓
稚武彦命(わかたけひこのみこと)

作成日:2023/4/15

稚武彦命
わかたけひこのみこと
名   稚武彦命『日本書紀』
      若日子建吉備津日子命『古事記』
      若建吉備津日子命『古事記』
      若武彦命 他文献
生没年 不詳
父親  孝霊天皇
母親  絙某弟
子女  播磨稲日大郎姫
      伊那毘能若郎女
 
稚武彦命は、『記紀』に伝わる古代日本の皇族。

第7代孝霊天皇皇子で、 吉備臣(吉備氏)の遠祖。
吉備津彦命」と称されることもあるが、 その呼称では一般に兄の彦五十狭芹彦命(大吉備津彦命)を指す場合が多い。

第7代孝霊天皇と、 絙某弟(はえいろど、蠅伊呂杼)との間に生まれた皇子である。 同母兄には彦狭島命(日子寤間命)がいる。 異母兄弟のうちでは、 同じく吉備氏祖で四道将軍の1人の彦五十狭芹彦命(比古伊佐勢理毘古命、吉備津彦命)が知られる。

日本書紀』では子に関する記載はない。 『古事記景行天皇段では、 子として景行天皇皇后の針間之伊那毘能大郎女(『日本書紀』では播磨稲日大郎姫)、 景行天皇妃の伊那毘能若郎女の名を記す。 そのほか、 『新撰姓氏録』では吉備武彦命を始めとする諸人物を子孫として記載する。

日本書紀』では、稚武彦命の事績に関する記載はない。

古事記孝霊天皇段では、 若建吉備津日子命は大吉備津日子命(彦五十狭芹彦命)とともに吉備国平定に派遣されており、 針間(播磨)の氷河之前(比定地未詳)に忌瓮(いわいべ)をすえ、 針間を道の口として平定を果たしたという。