神道の起源は非常に古く、
日本の風土や日本人の生活習慣に基づき、
自然に生じた神観念である。
農耕文化の進展とともに、
自然の威力に神霊の存在を見出し、
その神霊を丁重に祭ることで自然の脅威を和ませ、
農耕生活の安寧を祈るという神観念が生じたことが、
神道の始まりであった。
このためキリスト教、仏教のような開祖が存在せず、
縄文時代を起点に弥生時代から古墳時代にかけてその原型が形成されたと考えられている。
現在の神道・神社に直接繋がる祭祀遺跡が出土するのは、
農耕文化の成立に伴って自然信仰が生じた弥生時代で、
この時代には、
荒神谷遺跡などに代表される青銅器祭祀、
池上曽根遺跡のような後の神社建築と共通する独立棟持柱を持つ建物、
鹿などの骨を焼いて占う卜骨、
副葬品としての鏡・剣・玉の出土など、
神社祭祀や記紀の神道信仰と明らかに連続性を持つ要素が見られるようになる。
大和王権が成立する古墳時代には、
最初期の神社と考えられる宗像大社や大神神社で、
古墳副葬品と共通する副葬品が出土することから、
大和王権による国家祭祀が行われたと推定されており、
この時期に神道の直接の原型が形成された。
その後、飛鳥時代には律令の整備に伴い、
神祇令に基づいた祭祀制度の体系化が行われ、
神祇官が全国の神社に幣帛を頒布する班幣制度の確立や、
全国の神社への社格区分や神階・神位の授与など、
全国の神社を包括する国家的な律令祭祀制度が整備されたため、
この時期に体系的な「神道」が成立したとするのが、
多くの研究者での概ねの共通認識となっている。
「神道」という名称については「かんながらの道(神道)」と言う意味である。 中国の『易経』や『晋書』の中にみえる神道は「神(あや)しき道」という意味であり、 これは日本の神道観念とは性質が異なる別個のものである。 同様のケースに、 卑弥呼の時代の宗教観に対し鬼道という表現がなされるが、 当時の中国における鬼道は異国の諸宗教に対して用いられていた呼称であったことが挙げられる。
日本における「神道」という言葉の初出は『日本書紀』の用明天皇紀にある「天皇、仏法を信(う)けたまひ、神道を尊びたまふ」であるが、 このように外来の宗教である仏教と対になる日本固有の信仰を指したものだった。
解釈は多様であり、 仏教や儒教に対して日本独自の宗教を神道とする説、 稲作のような自然の理法に従う営みを指して神道とする説などがある。
明治20年代(19世紀末)になると、 西欧近代的な宗教概念が日本でも輸入され、 宗教としての「神道」の語も定着し始めた。 同30年代(20世紀初)には宗教学が本格的に導入され、 学問上でも「神道」の語が確立した。