小窓
神道(しんとう、しんどう)/ 惟神道(かんながらのみち)

作成日:2023/2/10

神道(しんとう、しんどう)は、日本の宗教。 惟神道(かんながらのみち)ともいう。

教典や具体的な教えはなく、開祖もいない。 神話、八百万の神、自然や自然現象などにもとづくアニミズム的(生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方)、 祖霊崇拝的な民族宗教である。
自然と神とは一体として認識され、 神と人間を結ぶ具体的作法が祭祀であり、 その祭祀を行う場所が神社であり、聖域とされた。

神道は古代日本に起源をたどることができるとされる宗教である。 宗教名の多くは日本語では「○○教」と呼称するが、 神道の場合は、 宗教名は神教ではなく「神道」である。 伝統的な民俗信仰・自然信仰・祖霊信仰を基盤に、 豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に成立した。 また、日本国家の形成に影響を与えたとされている宗教である。

神道には確定した教祖、創始者がおらず、 キリスト教の聖書、 イスラーム教コーランにあたるような公式に定められた「正典」も存在しないとされるが、 『古事記』『日本書紀』『古語拾遺』『先代旧事本紀』『宣命』といった「神典」と称される古典群が神道の聖典とされている。

森羅万象に神が宿ると考え、 また偉大な祖先を神格化し、 天津神国津神などの祖霊をまつり、 祭祀を重視する。 浄明正直(浄く明るく正しく直く)を徳目とする。 他宗教と比べて現世主義的といった特徴がみられる。 神道とは森羅万象を神々の体現として享受する「惟神の道(かんながらのみち、神とともにあるの意)」であるといわれる。 教えや内実は神社と祭りの中に伝えられている。 ...

神道は奈良時代以降の長い間、仏教信仰と混淆してきた(神仏習合)。 一方で、日本における神仏習合は、 すっかりと混ざり合って一つの宗教となったのではなく、 部分的に合一しながらも、 なおそれぞれで独立性が維持されていた側面もあり、 宮中祭祀や伊勢神宮の祭祀では仏教の関与が除去されていることから、 神祇信仰は仏教と異なる宗教システムとして自覚されながら並存していた。
明治時代には神道国教化を実現するために、神仏分離が行われた。

神道と仏教の違いについては、 神道は地縁・血縁などで結ばれた共同体(部族や村など)を守ることを目的に信仰されてきたのに対し、 仏教はおもに人々の安心立命や魂の救済、 国家鎮護を求める目的で信仰されてきたという点で大きく相違する。

神道は日本国内で約8万5,000の神社が登録され、 約8,400万人の支持者がいると『宗教年鑑』(文化庁)には記載があるが、 支持者は神社側の自己申告に基づく数字であり、 地域住民をすべて氏子とみなす例、 初詣の参拝者も信徒数に含める例、 御守りや御札などの呪具の売上数や頒布数から算出した想定信徒数を計算に入れる例があるためである。
このため、 日本人の7割程度が無信仰を自称するという多くの調査結果とは矛盾する。

由来

神道の起源は非常に古く、 日本の風土や日本人の生活習慣に基づき、 自然に生じた神観念である。 農耕文化の進展とともに、 自然の威力に神霊の存在を見出し、 その神霊を丁重に祭ることで自然の脅威を和ませ、 農耕生活の安寧を祈るという神観念が生じたことが、 神道の始まりであった。
このためキリスト教、仏教のような開祖が存在せず、 縄文時代を起点に弥生時代から古墳時代にかけてその原型が形成されたと考えられている。

現在の神道・神社に直接繋がる祭祀遺跡が出土するのは、 農耕文化の成立に伴って自然信仰が生じた弥生時代で、 この時代には、 荒神谷遺跡などに代表される青銅器祭祀、 池上曽根遺跡のような後の神社建築と共通する独立棟持柱を持つ建物、 鹿などの骨を焼いて占う卜骨、 副葬品としての鏡・剣・玉の出土など、 神社祭祀や記紀の神道信仰と明らかに連続性を持つ要素が見られるようになる。
大和王権が成立する古墳時代には、 最初期の神社と考えられる宗像大社や大神神社で、 古墳副葬品と共通する副葬品が出土することから、 大和王権による国家祭祀が行われたと推定されており、 この時期に神道の直接の原型が形成された。
その後、飛鳥時代には律令の整備に伴い、 神祇令に基づいた祭祀制度の体系化が行われ、 神祇官が全国の神社に幣帛を頒布する班幣制度の確立や、 全国の神社への社格区分や神階・神位の授与など、 全国の神社を包括する国家的な律令祭祀制度が整備されたため、 この時期に体系的な「神道」が成立したとするのが、 多くの研究者での概ねの共通認識となっている。

「神道」という名称については「かんながらの道(神道)」と言う意味である。 中国の『易経』や『晋書』の中にみえる神道は「神(あや)しき道」という意味であり、 これは日本の神道観念とは性質が異なる別個のものである。 同様のケースに、 卑弥呼の時代の宗教観に対し鬼道という表現がなされるが、 当時の中国における鬼道は異国の諸宗教に対して用いられていた呼称であったことが挙げられる。

日本における「神道」という言葉の初出は『日本書紀』の用明天皇紀にある「天皇、仏法を信(う)けたまひ、神道を尊びたまふ」であるが、 このように外来の宗教である仏教と対になる日本固有の信仰を指したものだった。

解釈は多様であり、 仏教儒教に対して日本独自の宗教を神道とする説、 稲作のような自然の理法に従う営みを指して神道とする説などがある。

明治20年代(19世紀末)になると、 西欧近代的な宗教概念が日本でも輸入され、 宗教としての「神道」の語も定着し始めた。 同30年代(20世紀初)には宗教学が本格的に導入され、 学問上でも「神道」の語が確立した。