小窓
葛城円(かつらぎのつぶら)

作成日:2023/4/28

葛城円/円大臣
かつらぎのつぶら/つぶらのおおきみ
生年 不明
没年 安康天皇3年
(西暦456年
別名 葛城円、円大使主
都夫良意富美
官位 大臣
主君 履中天皇眉輪王
配偶者 不明
父親 玉田宿禰あるいは
葦田宿禰
母親 不明
子  韓媛(雄略天皇妃)
 
履中天皇2年(401年)、国政に参加する。

安康天皇3年(456年)、 眉輪王が安康天皇を殺した時、 眉輪王と同時に疑いをかけられた坂合黒彦皇子(さかあいのくろひこのみこ)を屋敷にかくまう。 しかし、雄略天皇に屋敷を包囲され、 娘の韓媛(からひめ)と「葛城宅七区(葛城の屯倉(みやけ)7ヶ所か)」を差出して許しを乞うたが、 認められず焼き殺される(『日本書紀』)。

『古事記』では、坂合黒彦皇子は逃げこむ前に討たれ、差出した屯倉も5ヶ所になる。 また、焼き殺されたのではなく眉輪王を殺して自害したことになっている。

奈良県御所市にある5世紀前半の豪族居館遺跡である極楽寺ヒビキ遺跡では、 焼けた建物や塀が確認されており、 円大臣(葛城氏)の館跡であるとする研究結果が存在する。