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皇室関連用語

作成日:2026/2/19

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一般参賀(一般参賀)
一般参賀(Visit of the General Public to the Palace)

西暦1948年昭和23年)から開催されている皇室行事。
この行事は、 一般人が皇居に参入し皇室に向けて祝賀の意を表することができる唯一の機会である。 毎年1月2日と天皇誕生日に行われているほか、 天皇の即位後にも行われている。

皇居に参内した国民に天皇が「おことば」を述べる形式で行われる。

  • 当日、国民は皇居前広場で整列して皇宮警察および警視庁の誘導に従って正門から参入[3]、中門を通り長和殿前の東庭に進む。
  • 長和殿のベランダに天皇および皇族が出御し、天皇が「おことば」を述べる。
  • 国民は宮内庁庁舎前を通り、坂下門より退下する。
当初は宮内庁庁舎屋上から昭和天皇が一人で民衆に対し手を振るというものであったが、 西暦1969年昭和44年)の昭和天皇に対しパチンコを撃った「昭和天皇パチンコ狙撃事件」などの経緯から、 現在はガラス越しに「おことば」を述べる形式になった。
大王(おおきみ/だいおう)
大王(おおきみ/だいおう)とは、 一般には君主に対する尊称であるが、 日本古代では天皇号成立以前の尊称とした。 大君とも書かれた。
大王には大別して3種の内容があり、時期的にも区別しうるようである。
  • 5世紀を中心としたもので、 熊本県の江田船山古墳出土大刀銘、 埼玉県の稲荷山古墳出土鉄剣銘、 和歌山県の隅田八幡宮人物画像鏡銘にみられる。 これらの銘文は日本風の発音をすべて字音仮名づかいで記しており、 大王は「だいおう」と読むのが妥当。 これらの大王は、 王のなかで最高の権威と権力をもつという意味でヤマト王権の王の称号として用いられた。
  • 主として6世紀代を中心に、 大后=おおきさき=皇后、 大兄=おおえ=皇太子の称号とともに用いられたもので、 この場合は「おおきみ」と読まれたと考えられる。 この大王は単なる称号以上の意味をもつ。
    6世紀中葉ごろからヤマト王権は全国的支配のための原始的な官僚組織や統治機構(伴造(とものみやつこ)、 国造(くにのみやつこ)、 屯倉(みやけ)、 部(べ)制など)を整えつつあり、 大王はそうした専制国家の君主の地位を意味し、 宮廷内の第一夫人が大后、 次期の大王位継承資格をもつものが大兄という地位称呼をもつことと対応する。
  • 天皇号の成立以後の伝統的意味をこめた尊称としてのもので「大君」(おおきみ)と書かれる場合が多い。 天皇号の成立時期については、 7世紀初頭の推古朝とするのが通説であるが、 天武・持統朝とみる説もある。 『日本書紀』舒明(じょめい)天皇即位前紀、 同元年正月条に群臣の言を記す文章のなかに大王の語がみえる。 天皇を大王または大君と記す事例は『万葉集』に数多くみられ、 このほか『上宮聖徳法王帝説(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ)』『元興寺伽藍縁起并流記資財帳(がんごうじがらんえんぎならびにるきしざいちょう)』にもある。
    律令制では2~5世の皇親を王、女王と称するが、 『日本書紀』の古訓などでは「おおきみ」と読む例が多い。
関白(かんぱく)
関白(かんぱく)は、 天皇を補佐する朝廷の役職で、 未成年の天皇を補佐する役職を「摂政」(せっしょう)、 成年後の天皇を補佐する役職を「関白」(かんぱく)と言い、 摂政とともに臣下が就きうる最高の職位であった。 敬称は殿下。

関白は、 天皇に寄せられる情報をすべて「関かり」(あずかり)、 天皇に「白す」(もうす)ことで政治に関与できたことに由来する。

平安時代以降、 摂政と関白職になれたのは藤原氏で、 その藤原氏の中でも特別な一族に限られていた。 戦国時代に「豊臣秀吉」が武士として初の関白に就任したが、 江戸時代には再び藤原氏に戻った。 そして明治時代に廃止されるまで、 関白は約1,000年にわたって受け継がれてきた。
皇室典範(こうしつてんぱん)
皇室典範(こうしつてんぱん)  法令番号 昭和22年法律第3号
成立:西暦1946年12月24日    公布:西暦1947年1月16日    施行:西暦1947年5月3日

皇室典範は、 日本国憲法第2条および第5条に基づき、 天皇・皇位継承および摂政の設置、 皇族の身分、 天皇や皇族の陵や墓(皇室財産)、 皇室会議など、 皇室に関する事項を定めた日本の法律。 単に典範(てんぱん)とも呼ばれる。

所管官庁は、宮内庁長官官房秘書課である。

西暦1946年昭和21年)11月3日の日本国憲法(昭和憲法)公布を受けて、 同第100条、第2条および第5条に基づき、 西暦1947年昭和22年)の第92回帝国議会に提案された一連の憲法附属法の制定手続の過程で枢密院の諮詢および帝国議会衆・貴両院の協賛を経て制定され、 西暦1947年昭和22年)5月3日、 昭和憲法と同時に施行された。

大日本帝国憲法(明治憲法)下の皇室典範は法律ではなく家憲(=家訓)の扱いだったのに対し、 昭和憲法下の皇室典範は法律として定められ、 立憲君主国における一般的な法律としての王位継承法となっている。
再祚(さいそ)
重祚(ちょうそ)
参賀(さんが)
参賀(さんが)

宮中(皇居)に参上し、新年の挨拶やお祝いの言葉を述べること。
一般的には「一般参賀」指すことが多い。
重祚(じゅうそ)
重祚(ちょうそ)
親王宣下(しんのうせんげ)
親王宣下(しんのうせんげ)/ 内親王宣下(ないしんのうせんげ)

親王宣下または内親王宣下とは、 皇族の子女に親王および内親王の地位を与えること。
宸翰/親翰 (しんかん)
宸翰/親翰(しんかん)、 宸筆(しんぴつ)

宸翰は、 天皇自筆の文書のこと。 宸筆親翰ともいう。 鎌倉時代以降、 室町時代までの宸翰の書風を特に宸翰様と呼ぶ。 中世以前の天皇の真跡で現存するものは数が少なく、 国宝や重要文化財に指定されているものが多い。
鎌倉時代末期の伏見天皇を筆頭に、 能書家の天皇が多かったため、 日本の書道史上重要な作品も多い。 著名な能書帝には伏見天皇の他、 「三筆」の一人に数えられる嵯峨天皇伏見天皇と並び宸翰様を代表する後醍醐天皇(およびその父の後宇多天皇)、 柔軟さと上品さが特徴的な「後小松院流」を開いた後小松天皇、 力強い書風の「勅筆流」を開いた後円融天皇、 強弱の変化が巧みな「後柏原院流」を開いた後柏原天皇(およびその息子の後奈良天皇)、 博学能文で作詩に長じた光格天皇などがいる。
宸筆(しんぴつ)
宸翰(しんかん)
摂政(せっしょう)
摂政(せっしょう)

天皇にかわって大政を摂行する重職。摂籙(せつろく)、執柄(しっぺい)などともいう。

記紀によれば、 応神天皇のときの神功皇后が初例といわれ、 推古朝の聖徳太子をはじめ、 古くは皇族がこれに任ぜられたが、 西暦866年(貞観8年)清和天皇の外祖父太政大臣藤原良房が臣下として初めて摂政の詔(みことのり)を受け、 さらに冷泉天皇(在位西暦967年~西暦969年)のころから、 天皇幼少の間は摂政を、 成年後は関白を置くのが慣例となり、 朝廷最高の地位として「一(いち)の人」ともよばれた。

そして制度上は、 関白が天皇の補佐としてなお臣下の地位にとどまったのに対し、 摂政は天皇の代理者として、 ほとんど天皇に等しいといわれ、 詔書に画可(かくか)(本来は天皇が「可」の字を親署する)を加える権限などをもった。

良房以降、 摂政は藤原氏北家(ほっけ)に伝えられ、 藤原氏長者(うじのちょうじゃ)を兼帯するのが例となり、 さらに道長以後はその子孫に独占されて江戸時代末に及んだが、 王政復古の発令に際して、 関白とともに廃止された。

践祚(せんそ)
践祚(せんそ)

天皇の位につくこと。

古くは「践阼」と書き、「践」とは位に就くこと、「阼」は天子の位を意味する。

古くは即位との別はなかったが、 桓武天皇(第50代)以後、 両者を区別し、 皇位の象徴である三種の神器を受継ぐことを践祚、 皇位につくことを天下に布告することを即位といった。

現行の『皇室典範』では、 天皇が崩御後即位の礼を行うと改め、 践祚という言葉はなくなった。
即位(そくい、しょくい)

即位(そくい、しょくい)

即位とは位に即(つ)いて皇帝・天皇・国王など君主に成ること。 また、ローマ教皇など宗教職にも用いる。 即位に際して儀式を執り行うことも多い。

『大宝令』や『養老令』などの規定には「およそ天皇位に即きたまはば、 すべて天神地祇を祭れ」とあるが、 これは大嘗祭のことを指した。
令における践祚については天長10年(西暦833年)成立の『令義解』に「天皇の位に即きたまふ、これを践祚といふ」と記述されている。 先帝の退位または崩御を受け三種の神器を受け践祚して天皇に成り日を選んで大嘗祭を行って神祇百官に布告する。 その後さらに即位の礼を行い自分が皇位を継いだことを内外に示す。 すなわち即位(和訓:あまつひつぎしろしめす)とは皇位に即いて天皇に成った事を意味する。

即位践祚は同一だったが、 桓武天皇以後に践祚後に即位の礼を行なうようになったことから践祚即位は区別されるようになった。

現在の皇室典範は践祚即位を同一としている。 即位の礼は即位(従前の践祚に相当)直後ではなく1年以上後に行うきまりである(上皇明仁即位の約1年10ヶ月後に即位の礼を行った)。

最大の式典という意味の「大典(たいてん)」の語を以て即位を指す(反対語は君主の死と葬儀を指す「大喪」)。
重祚(ちょうそ、じゅうそ)
重祚(ちょうそ、じゅうそ)、再祚(さいそ)、復祚(ふくそ)

重祚とは、一度退位した天子が再び即位すること。 再祚復祚とも。

日本における重祚は2例のみ。
勅語(ちょくご)
勅語(ちょくご)とは、 天皇が国民や臣民に対して直接口頭で発する公的な意思表示であり、詔勅の一種である。 現在では「おことば」と呼ぶことが一般的である。(西暦2025年
勅語を書面に写したものを勅語書という。 勅語書に天皇の親署(御名)や国務大臣の副署はない。 ただし、教育勅語は例外であり、 書面により発し、 天皇の親署(御名)がある(国務大臣の副署はない)。
儲君(ちょくん/もうけのきみ)

儲君(ちょくん/もうけのきみ)

儲君とは、 次の君主(天皇)としてあらかじめ立てられた世継ぎのこと、 つまり、 君主(天皇)の位を継ぐために「用意されている君」という意味である。
南北朝時代から江戸時代中期にかけては、 次期皇位継承者が決定されている場合であっても、 「皇太子」にならないこともあった。 これは、 当時の皇室の財政難などにより、 立太子礼が行えなかったためである。 通例であれば、 次期皇位承継者が決定されると同時に、 もしくは日を改めて速やかに立太子礼が開かれ、 次期皇位継承者は皇太子になる。 しかし、 立太子礼を経ない場合には、 「皇太子」ではなく、「儲君」(ちょくん、もうけのきみ)と呼ばれた。

南北朝時代において、 南朝では最後まで曲がりなりにも立太子礼が行われてきたとされている。 これに対して、 北朝においては、 後光厳天皇から南北朝合一を遂げた遙か後の霊元天皇に至るまで、 300年以上に亘って立太子を経ない儲君が皇位に就いている。 立太子礼が復活した後も、 儲君治定から立太子礼まで1年から数年の期間があり、 江戸時代では実質儲君治定が次期皇位承継者の決定であった。
剃髪(ていはつ)
剃髪(ていはつ)

剃髪とは髪を剃ること。それから転じて出家すること。 剃除鬚髪(たいじょしゅほつ)、 剃頭(ていず)、 落髪(らくはつ)、 かしらおろしなどともいう。 また、高貴な人や身分の高い人が世俗から離れ髪を剃り落としす場合(特に女性の場合)は落飾(らくしょく)という。 剃除鬚髪(たいじょしゅほつ)ともいわれるように、 髪だけでなく鬚(や眉)を剃ることも意味する場合がある。
内親王宣下(ないしんのうせんげ)
親王宣下(しんのうせんげ)
復祚(ふくそ)
重祚(ちょうそ)
崩御(ほうぎょ)
崩御(ほうぎょ)

天皇・皇后・皇太后・太皇太后、国王・皇帝・天子の死を表す言葉(敬語)。 昔は上皇・法皇に対しても云った。

元々は中国起源の語であり、 『礼記』曲礼下篇に
天子の死は崩(ほう)と曰(い)ひ、諸侯は薨(こう)と曰ひ、大夫(たいふ)は卒(そつ)と曰ひ、士は不禄(ふろく)と曰ひ、庶人は死と曰ふ

とある。

その他に、 貴人の死を表す言葉には次のようなものがある。
  • ご逝去(ごせいきょ)/ 御逝去(ごせいきょ)
    二重敬語。「逝去」が「死ぬ」の敬語であり、それに「ご」をつけた。
  • 薨御(こうぎょ) 皇太子や大臣などの死を意味する。
  • 薨去(こうきょ) 親王や三位以上の死を意味する。
  • 卒去(しゅっきょ、そっきょ) 王や女王、四位・五位以上の死を意味する。
  • 卒去(そっきょ、しゅっきょ)。 律令制下で、皇族の内の王や女王、或いは、位階が四位(正四位・従四位)・五位(正五位・従五位)以上の者の死について用いる。
鳳輦(ほうれん)
鳳輦(ほうれん)

鳳輦は、 「屋根に鳳凰の飾りのある天子の車」を意味する言葉で、 日本においては、古くから、天皇の正式な乗り物を意味するほか、 現代では神社の祭りなどに使われる、 鳳凰の飾りがある神輿を意味する。
神輿は、日本の神社の社殿を小型化したかたちであるのに対し、 鳳輦は台の上に4本の柱と屋根があるかたちになっており、 「人が乗って移動する車」という、 もともとの用途に適した形態をとっている。
御鳳輦の起源は御神輿(おみこし)より更に古く、 中国からの風俗や文化の移入により伝わった、 天子や高僧などの乗り物とされて来た。 屋形の屋根に金銅の鳳凰の飾りのあるのが特徴で、 単に「輿」(こし)と言われることもある。
補弼(ほひつ)
補弼(ほひつ)

  • 天子・君主などの行政をたすけること。 また、その人。
  • 旧憲法で、天皇の行為について進言し、採納を奏請し、その全責任を負うこと。
    国務については国務大臣、宮務については宮内大臣および内大臣、統帥上の事柄については参謀総長または軍令部総長があたった。
落飾(らくしょく)
剃髪(ていはつ)

ううう



関連項目
用語集