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皇室関連用語

作成日:2024/7/16

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皇室典範(こうしつてんぱん)

皇室典範(こうしつてんぱん)  法令番号 昭和22年法律第3号
成立:西暦1946年12月24日    公布:西暦1947年1月16日    施行:西暦1947年5月3日

皇室典範は、 日本国憲法第2条および第5条に基づき、 天皇・皇位継承および摂政の設置、 皇族の身分、 天皇や皇族の陵や墓(皇室財産)、 皇室会議など、 皇室に関する事項を定めた日本の法律。 単に典範(てんぱん)とも呼ばれる。

所管官庁は、宮内庁長官官房秘書課である。

西暦1946年昭和21年)11月3日の日本国憲法(昭和憲法)公布を受けて、 同第100条、第2条および第5条に基づき、 西暦1947年昭和22年)の第92回帝国議会に提案された一連の憲法附属法の制定手続の過程で枢密院の諮詢および帝国議会衆・貴両院の協賛を経て制定され、 西暦1947年昭和22年)5月3日、 昭和憲法と同時に施行された。

大日本帝国憲法(明治憲法)下の皇室典範は法律ではなく家憲(=家訓)の扱いだったのに対し、 昭和憲法下の皇室典範は法律として定められ、 立憲君主国における一般的な法律としての王位継承法となっている。

践祚(せんそ)

践祚(せんそ)

天皇の位につくこと。

古くは「践阼」と書き、「践」とは位に就くこと、「阼」は天子の位を意味する。

古くは即位との別はなかったが、 桓武天皇(第50代)以後、 両者を区別し、 皇位の象徴である三種の神器を受継ぐことを践祚、 皇位につくことを天下に布告することを即位といった。

現行の『皇室典範』では、 天皇が崩御後即位の礼を行うと改め、 践祚という言葉はなくなった。

即位(そくい)

即位(そくい、しょくい)

即位とは位に即(つ)いて皇帝・天皇・国王など君主に成ること。 また、ローマ教皇など宗教職にも用いる。 即位に際して儀式を執り行うことも多い。

『大宝令』や『養老令』などの規定には「およそ天皇位に即きたまはば、 すべて天神地祇を祭れ」とあるが、 これは大嘗祭のことを指した。
令における践祚については天長10年(西暦833年)成立の『令義解』に「天皇の位に即きたまふ、これを践祚といふ」と記述されている。 先帝の退位または崩御を受け三種の神器を受け践祚して天皇に成り日を選んで大嘗祭を行って神祇百官に布告する。 その後さらに即位の礼を行い自分が皇位を継いだことを内外に示す。 すなわち即位(和訓:あまつひつぎしろしめす)とは皇位に即いて天皇に成った事を意味する。

即位践祚は同一だったが、 桓武天皇以後に践祚後に即位の礼を行なうようになったことから践祚即位は区別されるようになった。

現在の皇室典範は践祚即位を同一としている。 即位の礼は即位(従前の践祚に相当)直後ではなく1年以上後に行うきまりである(上皇明仁即位の約1年10ヶ月後に即位の礼を行った)。

最大の式典という意味の「大典(たいてん)」の語を以て即位を指す(反対語は君主の死と葬儀を指す「大喪」)。

崩御(ほうぎょ)

崩御(ほうぎょ)

天皇・皇后・皇太后・太皇太后、国王・皇帝・天子の死を表す言葉(敬語)。 昔は上皇・法皇に対しても云った。

元々は中国起源の語であり、 『礼記』曲礼下篇に
天子の死は崩(ほう)と曰(い)ひ、諸侯は薨(こう)と曰ひ、大夫(たいふ)は卒(そつ)と曰ひ、士は不禄(ふろく)と曰ひ、庶人は死と曰ふ

とある。

その他に、 貴人の死を表す言葉には次のようなものがある。