播磨国(はりまのくに)/ 播州(ばんしゅう) 現在の 兵庫県南西部。
山陽道の一国。
国力区分は
大国、
遠近区分は
近国。
木簡では「針間国」・「幡麻国」と表記しているものもある
7世紀に成立した。
針間国(加古川以西)・明石国(明石郡・美嚢郡・加古郡・印南郡)・針間鴨国(賀茂郡・多可郡)が大化の改新以降に播磨国(針間国)へ編入されたと推定されている。
飛鳥池遺跡や
藤原宮跡などからの出土木簡の中に飾磨郡を「志加麻評」、宍粟郡を「宍粟評」、神崎郡を「神前評」、揖保郡を「粒評」と記しているものがある。
郡制の前には評里制の地方行政区画が行われていたことを示すものである。
7世紀の終わり頃、
播磨国の長官を「吉備大宰(きびおおみこともち)」とか「播磨国宰(みこともち)」と『播磨国風土記』に記されている。
この期の地方長官は、複数国以上を統括する大宰(総領)が任命された。
西暦713年(
和銅6年)に編まれた風土記の内、
現在にまで文献が残る五か国の一つでもある。
江戸時代には、
山崎藩・安志藩・三日月藩・林田藩・三草藩・龍野藩・小野藩・姫路藩・赤穂藩・明石藩・福本藩・新宮藩・姫路新田藩・平福藩が置かれた。