小窓
伊予来目部小楯(いよのくめべのおたて)

作成日:2023/5/3

伊予来目部小楯(いよのくめべのおたて)/山部小楯(やまべのおたて)

日本書紀』・『古事記』・『播磨国風土記』の記述によると、以下の通りになる。

西暦481年清寧天皇2年11月)、 小楯は播磨国司(針間国宰、はりまのくにのみこともち)として大嘗祭の供奉料の新穀を徴収するため派遣された。
日本書紀』では赤石郡縮見屯倉(しじみ の みやけ)、 『古事記』では志自牟(しじむ)、 『風土記』では「志深(ししみ)の里」の、 忍海部造細目(おしぬみべ の みやつこ ほそめ)の新室(にいむろ)の酒宴の席で、 牛飼となって隠れていた市辺押磐皇子の遺子、 億計弘計両王を発見し、 民衆を動員して仮宮を建てさせた上で、朝廷に報告した。

清寧天皇は驚き、 さらに非常に喜んだという。

西暦485年顕宗天皇元年)、 小楯はその功で山官(やまのつかさ)に任じられ、 山部氏と連の姓を与えられた。 そして「吉備臣」を副(そいつかい)として「山守辺」(やまもりべ)を部民とした、 とある。

億計皇子(おけのみこ)

仁賢天皇の諱(いみな)。

弘計皇子(顕宗天皇)は同母弟。

弘計皇子(をけのみこ)/

顕宗天皇の諱(いみな)。

億計皇子(仁賢天皇)は同母兄。