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オリンピック

作成日:2024/2/7

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オリンピック

オリンピックは4年に一度開催される世界的なスポーツの祭典となっている。
起源は紀元前776年にギリシャで始まった古代オリンピックである。
しかし、 この古代オリンピック西暦393年を最後に開かれなくなってしまった。

近代になり、 ピエール・ド・クーベルタン男爵の呼びかけで近代オリンピックが開催されることになり、 西暦1896年に第1回大会がアテネで開催された。 この近代オリンピックも、 古代オリンピックと同様に4年毎に開催され、 西暦年現在も開催され続けている。

西暦2004年からは、 障害者のオリンピックと呼ばれるパラリンピックも開催されるようになった。

古代オリンピック

古代オリンピック  紀元前776年(第1回)- 西暦393年(第293回)
  1169年間にわたって4年に一度開催された。

古代ギリシャの4大祭典競技の一つ。 エリスオリンピアの聖域で、ゼウス神に捧げられた競技会。 起源については諸説があるが、紀元前776年以後の競技会の記録が残っており、 これを第1回と数えている。以後4年に1度開催。 一般に古代オリンピックとよばれているが、 古代ギリシャの祭典競技である。

紀元前13世紀から始まったインド・ヨーロッパ語族の移動の第二陣がペロポネソス半島に定着したころから、 オリュンポス山の神々への奉納祭典に変化が生じてきた。 トロヤ戦争を経た後に、英雄の葬礼や陣中の慰安のため軍技競技が行われ、 これが祭典の行事に加えられるようになった。 オリンピアで主神ゼウスを祭ったオリンピア祭は紀元前776年に復活されたといわれるが、 その起源は古くドーリア人の間で行われていた祭儀であるとするのが定説である。

復活の年については、 そのころフェニキアから文字が伝わって優勝者名が記録され始めたのが紀元前776年の大会であり、 それを第1回としたという説や、 紀元前1580年、紀元前1195年、紀元前884年を各創始年とする諸説がある。 その後、デルフォイのアポロン神域で行われたピティアPythia祭(紀元前582年)、 コリントスの海神ポセイドンを祭るイストミアIsthmia地峡祭(紀元前582年)、 ゼウスのためのネメアNemea祭(紀元前573)が始まり、 これをギリシャの四大祭典競技という。

古代オリンピックの最後は、 ローマの皇帝ネロがオリュンピアの聖域内に別荘を立てたり、 みずから競技に参加してむりやり優勝するというような末期的現象が現れるようになった。 最後は、テオドシウス1世の出した〈異教禁止令〉(西暦392年)により、 翌西暦393年の第293回大会を最後に、 1169年間にわたる歴史に終止符が打たれた。

近代オリンピック

近代オリンピック(英: Olympic Games)は、 フランスの教育学者ピエール・ド・クーベルタン男爵の
スポーツによる青少年教育の振興と世界平和実現のために古代オリンピックを復興しよう

という呼びかけによって、 西暦1896年に第1回大会がアテネで開催された。

ピエール・ド・クーベルタン男爵は、 古代ギリシャによる古代オリンピックならった4年に一度の競技祭を構想した。

オリンピズム(オリンピック哲学)が目指しているのは、 平和な世界を実現し人間の尊厳を護るためには人類の調和的な成長が必要なので、 そのためにスポーツを役立てることである。 近代オリンピックは、 国際オリンピック委員会(略称: IOC)が開催する平和の祭典であり、 単なる総合スポーツ大会ではない。
各国語で短く「オリンピック(Olympics)」と呼ばれ、 日本ではオリンピックシンボルにちなんで五輪と呼ぶこともある

パラリンピック

パラリンピック(英語: Paralympic Games)は、 国際パラリンピック委員会(英語: International Paralympic Committee、略称:IPC(以下IPC))が主催する身体障害者(肢体不自由(上肢・下肢および欠損、麻痺)、脳性麻痺、視覚障害、知的障害)を対象とした世界最高峰の障害者スポーツの総合競技大会。 オリンピックと同じ年に同じ場所で開催される。 西暦2004年アテネ大会から夏季オリンピックと共同の開催組織委員会が運営する。

オリンピックと同時開催されるため障害者のオリンピックとも呼ばれるが、 選手団の地域分けはオリンピックと異なっており、 フェロー諸島のようにオリンピックへの単独出場が認められていない自治領などでも個別に選手団を結成することができる。

オリンピックの直後に同じ場所で開催するというIPCの戦略が奏功し、 格段にマスコミに取り上げられる率が高く、 数ある「障害者スポーツ大会」の中で、 現在、最も知名度が高くなり商業的にも成功をおさめつつある。 また、開始当初は車椅子使用者のために実施されてきた大会が、 その他の障害者にも拡大されていった大会で、 同じ障害者スポーツの競技大会ではあるが、 デフリンピック(聴覚障害者)や、 スペシャルオリンピックス(知的障害者)とは、 別の理念と歴史が存在している。

日本では、ながらく厚生労働省所管となっていたが文部科学省に移管され、 オリンピックとの一元化が図られることとなった

オリンピックを五輪と表記

オリンピックを五輪と表記  西暦1936年7月25日(読売新聞)が初出

初めてオリンピックを五輪と表記したのは、 当時、読売新聞東京本社記者であった川本信正であった。

それまでは「オリムピック」(当時はこの表記)という六文字を、 そこだけ小さい文字にしたり二行にしたりなど、 新聞各社は腐心していた。 西暦1940年夏季オリンピックの東京開催が決定した際、 川本信正はオリンピックに「五輪」という略称を考案して記事の見出しに使用したこ。 当時たまたま川本が読んでいた菊池寛の随筆に、 宮本武蔵の五輪書が登場しており、 そこから思いついたと本人は述べている。

西暦1936年7月25日の読売新聞の見出しに初めて登場した「五輪」は、 当初は「五厘に通じ、安っぽく感じる」という意見もあった。 やがて朝日新聞が同年8月15日に、 日経新聞が8月20日に、 と他紙も使い始め、定着していった。

1940年東京オリンピック

1940年東京オリンピックは、 西暦1940年9月21日から10月6日まで、 日本の東京府東京市(現・東京23区)で開催されることが予定されていた夏季オリンピックである。

史上初めて欧米以外の、アジアで行われる五輪大会、 そして紀元二千六百年記念行事として準備が進められていたものの、 日中戦争(支那事変)や軍部の反対等から日本政府が開催権を返上、 実現には至らなかった。

当時、アジアにおける数少ない独立国で、 かつ「五大国」の1国である日本の首都東京での開催は、 西暦1936年の国際オリンピック委員会(IOC)で決定した。 その後、開催の準備が進められたが、日中戦争(支那事変)の勃発や、 物資や兵士を取られる軍部の反対などから、 日本政府は西暦1938年7月15日にその実施を返上した。

1940年大会の代替地として、 オリンピックの招致合戦で東京の次点であったフィンランドの首都ヘルシンキが予定されたが、 第二次世界大戦の勃発によりこちらも中止となった。 なお、ヘルシンキは西暦1952年に東京に先んじて開催を実現した。

第二次世界大戦後、 日本は西暦1960年の夏季大会に東京を開催地として再び立候補したが落選した。 しかし、次の西暦1964年の夏季大会に当選した。 これはアジアで初のオリンピック開催となった。

1964年東京オリンピック

1964年東京オリンピック 期間:10月10日 - 10月24日

1964年東京オリンピックは、 西暦1964年(昭和39年)10月10日(後のスポーツの日)から10月24日までの15日間、 東京都で開かれた第18回オリンピック競技大会。 一般的に東京オリンピックと呼称され、 東京五輪と略称される。 大会後には同一都市では初となるパラリンピックも開催(第13回国際ストーク・マンデビル競技大会として開催)された。

西暦1940年東京オリンピックの開催権を返上したため、 日本およびアジア地域で初めて開催されたオリンピックで、 標準時子午線で開催される夏季オリンピックは、 西暦1956年メルボルン大会以来8年ぶり2回目となった。 また、「有色人種国家における史上初のオリンピック」である。

さらには、 西暦1952年のヘルシンキ(フィンランド)、 西暦1960年のローマ(イタリア)に続いて第二次世界大戦の旧枢軸国(連合国と戦った国)の首都で開催されたオリンピックである。

西暦1940年(昭和15年)の夏季大会の開催権を返上した東京は(夏季大会は非開催でも回次はそのまま残るため、東京は回次上では2回目の開催扱いとなる)、 第二次世界大戦終結の9年後の西暦1954年(昭和29年)に西暦1960年(昭和35年)夏季大会開催地に立候補した。 しかし、翌西暦1955年(昭和30年)の第50次IOC総会における投票でローマに敗れた。

次に西暦1964年(昭和39年)夏季大会開催地に立候補し、 西暦1959年(昭和34年)5月26日に西ドイツのミュンヘンにて開催された第55次IOC総会において欧米の3都市を破り開催地に選出された。