小窓
ギリシャの人物

作成日:2024/1/19

記事はあいうえお順で記載。

アイオリス人

アイオリス人は、 イオニア人ドーリア人と並ぶ古代ギリシャを構成した集団のひとつ (アカイア人を加えた四大集団のひとつとすることもある)。

紀元前2000年頃に、 ギリシャ本土中部テッサリアとボイオティア地方からレスボス島に移住し、 さらにアナトリア半島西部に植民し、12のポリスを建設した。

ギリシャ神話上では、 アイオリス人という名は祖にあたるアイオリスに由来する。 彼はギリシャ人すべての祖とされるヘレーンの息子である。 史実としては、 ギリシャ語のアイオロス (「素早く動く」の意) に由来する。 彼らは古代ギリシャ語の方言の一つアイオリス方言を話していた。

紀元前3000年頃にドナウ川流域から移住してきたと考えられている。

ヘロドトスによれば、アイオリス人はもともとペラスゴイ人と呼ばれていた。

もともと「アイオリス」と呼ばれた地域の一部であるテッサリアを故地とするアイオリス人は、 早期の古代ギリシャ部族の中でも最も人口の多い部族としてたびたび言及されている。 アイオリス人の一派ボイオーティア人は、 テッサリアからテッサリア人に追われてボイオーティア(現在のヴィオティア)に移った。 アイオリス人はアイトーリア、ロクリス、コリントス、エーリス、メッシニアなどギリシャ中に分散した。 ドーリア人の侵攻の際には、 アイオリス人はテッサリアからエーゲ海を渡ってレスボス島へ逃れ、 さらに小アジアに渡った。 この地は彼らにちなみアイオリスと呼ばれた。

紀元前6世紀末頃からはペルシャ帝国に支配され、 さらにセレウコス朝シリア王国やアッタロス朝ペルガモン王国の支配を受け、 ローマ時代以降には衰退していった。

アカイア人

アカイア人(アカイオイ)とは、 紀元前2000年頃テッサリア方面から南下してペロポネソス半島一帯に定住したとされる古代ギリシャの集団。 後に、その一部はイオニア人と呼ばれる様になった。

アカイオイの呼び名は、 『イーリアス』や『オデュッセイア』といったホメロスの叙事詩では、 そこで描かれるギリシャ人の総称として用いられている。 ミケーネ文明を構成した集団と考えられており、 ミノア文明を滅ぼした。 アナトリア半島に勢力を持ったヒッタイト新王国時代の粘土板文書や、 エジプトの碑文に、アヒヤワ(英語: Ahhiyawa)の名前で登場する。

その一部は後に南下してきたドーリア人に征服された。

ミケーネ文明崩壊後、 暗黒時代を経てポリス時代に入ってからは、 アカイオイの呼称はテッサリア南東部と、 シュキオンからエーリスにかけてのコリントス湾岸の住民を指した。 この時代のアカイオイが建設した殖民市に、 南イタリアのシュバリスやクロトンなどがある。 ギリシャ本土のアカイオイ12のポリスはアカイア同盟を構成し、 アカイオイ以外をも含み拡大した。 その後解体し、 紀元前280年に4つのポリスによって再結成された。

イオニア人

アナトリア半島
イオニア人(イオニアじん、ギリシャ語: ?ωνε?, I?nes, 英語:Ionian)とは、 紀元前2000年ころにバルカン半島を南下し、 ギリシャ中部やアナトリア半島(小アジア)北西部に定住したとされるアカイア人の一部。 アイオリス人やドーリア人と並ぶ、 古代ギリシャを構成した集団のひとつ。 代表的なポリスはアテナイである。

ペルシャ人は、最初に接触を持ったのが小アジア西岸のギリシャ人だったのでギリシャ人全体をイオニア人と呼び、その呼び方はインドなど東方に広まった。具体的には、ギリシャ人のことを、パーリ語ではYona、サンスクリットではYavana、アルメニア語ではHuyn、トルコ語ではYunan、さらに現代ペルシャ語ではギリシャのことをY?n?nと呼んでいる。いずれも、「イオニア(の) Ionian」から派生した言葉である。フラウィウス・ヨセフスは、イオニア人を、聖書に登場するヤペテの息子ヤワンと関連づけている。「イオニア人ならびに全ギリシャ人はヤワンに由来する」(フラウィウス・ヨセフス『ユダヤ古代誌』I:6)。 神話 ギリシャ神話では、イオニア人たちの祖は、 エレクテウスの娘クレウーサの息子イオンとされている。 その父親は、ヘーシオドスの『Eoiae』によるとクレウーサの夫クストス、 エウリーピデースによるとアポローンだと言われている。

ドーリア人 / ドーリス人 / ドリス人

ドーリア人(英語: Dorians)/ ドーリス人 / ドリス人

ドーリア人は、アイオリス人、 イオニア人と並ぶ古代ギリシャを構成した集団のひとつ。 紀元前1100年頃ギリシャに侵入し、 主にペロポネソス半島に定住した。 ギリシャ語のドリス方言を話し、 代表的な都市はスパルタである。

ギリシャ神話によると、その名は、 彼らの祖ヘレーンの息子ドーロスが移住した、 ドリス地方を故郷と考えていたことに由来する。

ドーリア人は鉄の武器で先住民を征服しながらペロポネソス半島やクレタ島などに侵入し、 スパルタをはじめとするポリスを形成した。

古代ギリシャ語にはドーリス方言があり、 建築様式にはドーリア式がある。 ドーリア式はそのシンプルで力強い様式が特徴。