明末の宋応星が著した『天工開物』には次のように述べている。
最後に言っているのは、紙の発明を蔡倫に帰していることを否定し、 それより以前からあったという主張である。 宋応星は紙は竹骨と木皮から作ると言っており、 特に切った竹を煮て紙を作る方法を詳しく述べている。 また木皮とは楮(こうぞ)の皮のことであるが、 薮内清氏の訳注によると、楮をコウゾにあてるのは誤りで、 コウゾは中国になく、 紙の材料となるのは和名ではカジノキとよぶものだという。『同上書』p.246
イスラーム世界でも紙が使用される前はパピルス紙または羊皮紙だった。 西暦851年にタラス河畔の戦いで数名の中国人捕虜が、 亜麻、リンネル、または大麻のきれはしから紙を製造する技術を初めて伝えられ、 その製造が始まったのはサマルカンドにおいてであった。 紙を意味する古いアラビア語であるカーガドは、 たぶん、ペルシャ語を経由した中国語が語源である。
製紙業は、まもなくサマルカンドからイラクに伝わり、 西暦794年にホラーサーンの知事だったバルマク家のアル=ファドル=イブン=ヤヒヤの提唱で、 最初の製紙工場がバグダードに建設された。 ハールーン=アッラシードの宰相(ヴァジール)だった彼の弟のジャアファルは、 政府省庁で使う羊皮紙を紙に代えた。 他のイスラーム都市でもサマルカンド方式で製紙工場が作られたが、 しばらくはサマルカンドの製品がもっとも上質であると考えられていた。 しかし、11世紀には、 もっと上質の紙がシリアの各都市で製造されるようになった。
9世紀の終わり、製紙業は西アジアからエジプトのデルタ地帯に伝わった。
エジプトでは、いくつかの都市が古くからカラーティーヌという名でパピルスを用紙としてギリシャ語圏諸国に輸出していた。
10世紀の終わりまでには、イスラム世界全体で、
紙がパピルスと羊皮紙を完全に駆逐するのに成功していた。
<ヒッティ/岩永博訳『アラブの歴史』下 講談社学術文庫 p.135-136>
地中海世界では西暦9000年頃にはカイロ、 西暦1100年頃には現在のモロッコのフェスに製紙工場が作られている。 11世紀終わりから12世紀はじめに、 アラビアの紙がシチリアに輸入され、その影響で、 西暦1150年にはスペインのハティバに製紙工場が現れ、 ヨーロッパでも羊皮紙から紙への時代への変化が明確となった。 その背景には十字軍運動やレコンキスタによってイスラーム圏との接触が増大したことがある。
西暦1276年、 イタリアで最初の製紙場がファブリアノに作られ、 ボローニャ、パドヴァが続いた。 フランスでは西暦1189年にエローに製紙工場が現れたという説もあるが、 確かな最初の製紙場は西暦1348年のトロワである。 西暦1390年にはドイツのニュルンベルクにも作られた。
15~16世紀にはヨーロッパのほとんどの国に製紙工場ができ、
中でもイタリアが盛んだった。
<エリク・ド・グロリエ/大塚幸男訳『書物の歴史』初刊1954 文庫クセジュ1992 p.27 などによる>
ヨーロッパでは、宗教改革で大量のパンフレットが作成されたこと、
ルネサンスでの文芸の大衆化などによって紙の需要が急増し、
活版印刷術と結びついて出版は一大産業へと発展していった。
それに伴い製糸業も手工業段階を終え、
巻紙型の製紙機械の発明、原料での木材パルプの利用など、
大量生産が可能になっていった。
<平田寬編著『歴史を動かした発明―小さな技術史事典』1983 岩波ジュニア新書 p.14-17 などによる>