薬子の変(くすこのへん)/ 平城太上天皇の変(へいぜいだいじょうてんのうのへん)
「薬子の変」または「平城太上天皇」の変は、
平安時代初期に起こった事件。
西暦810年(
大同5年)に、
故
桓武天皇の皇子である、
平城上皇と
嵯峨天皇が対立するが、
嵯峨天皇側が迅速に兵を動かしたことによって、
平城上皇が出家して決着する。
平城上皇の愛妾の尚侍・藤原薬子や、
その兄である参議・藤原仲成らが処罰された。
なお名称について、
かつては藤原薬子らが中心となって乱を起こしたものと考えられており、
「薬子の変」という名称が一般的であった。
しかし、
律令制下の太上天皇制度が王権を分掌していることに起因して事件が発生した、
という評価がなされるようになり、
西暦2003年頃から一部の高等学校用教科書では「
平城太上天皇の変」という表現がなされている。
また、「
薬子の変」と呼ばれるのは嵯峨天皇が平城上皇に配慮したためだという指摘もある。
また、様々な解釈が可能であるこの事件を新元号の
弘仁に由来する「
弘仁元年の政変」もしくは「
弘仁の変」と呼ぶ研究者もいる