小窓
桃園天皇(ももぞのてんのう)

作成日:2020/6/24

桃園天皇は、日本の第116代天皇。
桜町天皇の第一皇子。
父・第115代桜町天皇の嫡妻、二条舎子(青綺門院)の「実子」としてその御所で育てられた。

《紀》:日本書紀による記述  《記》:古事記による記述
日本の第116代天皇 桃園天皇(ももぞのてんのう)

[在位] 延享4年5月2日(西暦1747年6月9日)- 宝暦12年7月12日(西暦1762年8月31日)
[生没] 寛保元年2月29日(西暦1741年4月14日)- 宝暦12年7月12日(西暦1762年8月31日)22歳没
[時代] 江戸時代
[先代] 桜町天皇   [次代] 後桜町天皇
[陵所] 月輪陵(つきのわのみささぎ)
[追号] 桃園院
[] 遐仁(とおひと)。   [称号(幼名)] 八穂宮(やほのみや)または茶地宮(さちのみや)。
[父親] 桜町天皇
[母親] 権大納言姉小路実武の娘で典侍の藤原定子・姉小路 定子(あねがこうじ さだこ)。女院号:開明門院(かいめいもんいん)。
[皇居] 京都御所
[女御] 一条富子(いちじょう とみこ)。院号は恭礼門院(きょうらい もんいん)。

年譜

天皇の系譜(第106代から第118代)
寛保元年(西暦1741年)
2月29日(4月14日) 降誕
(西暦)
() 元服
(西暦)
() 
() 
延享4年(西暦1747年)
9月21日(10月24日) 即位礼
寛延元年(西暦1749年)
11月17日(1月5日) 大嘗祭
宝暦12年(西暦1762年)
7月12日(8月31日) 崩御。於:
(西暦)
() 大喪儀
(西暦)
() 
() 
(西暦)
() 
() 

略歴

延享4年(1747年)立太子、同年、父桜町天皇の譲りを受けて即位。 在位中の宝暦8年(1758年)に宝暦事件が発生し、朝廷内の尊王論者の若い公卿が幕府によって大量に処罰された。 宝暦12年(1762年)22歳で崩御

后妃・皇子女

陵・霊廟

陵(みささぎ)は、宮内庁により京都府京都市東山区今熊野泉山町の泉涌寺内にある月輪陵(つきのわのみささぎ)に治定されている。宮内庁上の形式は石造九重塔。 また皇居では、皇霊殿(宮中三殿の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。


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