小窓
平安京(へいあんきょう/たいらのみやこ)/ 平安城(へいあんじょう)

作成日:2023/3/8

平安京(へいあんきょう/たいらのみやこ)または平安城(へいあんじょう)

西暦794年延暦13年)から西暦1869年(明治2年)まで、 平清盛による約170日間の福原遷都 (西暦1180年) を除いて1000年以上の期間、 日本の首都であった。

桓武天皇により、 長岡京に代わる都として山背国(山城国)愛宕・葛野の両郡にまたがる地が選ばれ、 中国の洛陽城や長安城を模して西暦793年延暦12年)から建設された。
翌、西暦794年延暦13年)に遷都。 北部中央に宮城・平安宮(大内裏)が建設され、 以降歴代の皇居が置かれた。

遷都以来、 平清盛により断行された福原遷都西暦1180年)の期間を除いて、 東京奠都まで1100年近くに亘って都であり、 形式的には西暦1869年(明治2年)まで続いた。 今日の京都市街が形成されるに至る。

平安京はふつう音読みで「へいあんきょう」と読むが、 ときに「たいらのみやこ」と訓読みした。 古来、都の名はその地名を冠することが一般的であり、 本来ならば葛野京となるはずであったが、 藤原の都を「新益京(あらますのみやこ)」と称したように、 ここでも「平安京」と命名された。
唐の都「長安」に倣っての命名であることは容易に理解できるが、 長岡京での騒動が原因のひとつとして、 再び遷都されたため、 新京では悪いことが起こらず、 「平らかで安らかな都」、「平安」(訓読みは「たいら」)であって欲しいという願いも込められたと考えられている。
また平安時代の漢詩文には、 文学上の雅称として「洛陽」「長安」と呼ぶ例が見られる。 この「洛陽」から後に「洛中」「入洛」「上洛」などの言葉が生まれる。