平安京(へいあんきょう/たいらのみやこ)または平安城(へいあんじょう)
西暦794年(
延暦13年)から西暦1869年(明治2年)まで、
平清盛による約170日間の福原
遷都 (西暦1180年) を除いて1000年以上の期間、
日本の首都であった。
桓武天皇により、
長岡京に代わる都として山背国(山城国)愛宕・葛野の両郡にまたがる地が選ばれ、
中国の洛陽城や長安城を模して
西暦793年(
延暦12年)から建設された。
翌、
西暦794年(
延暦13年)に
遷都。
北部中央に宮城・平安宮(
大内裏)が建設され、
以降歴代の皇居が置かれた。
遷都以来、
平清盛により断行された福原
遷都(
西暦1180年)の期間を除いて、
東京
奠都まで1100年近くに亘って都であり、
形式的には西暦1869年(明治2年)まで続いた。
今日の京都市街が形成されるに至る。
平安京はふつう音読みで「へいあんきょう」と読むが、
ときに「たいらのみやこ」と訓読みした。
古来、都の名はその地名を冠することが一般的であり、
本来ならば葛野京となるはずであったが、
藤原の都を「新益京(あらますのみやこ)」と称したように、
ここでも「平安京」と命名された。
唐の都「
長安」に倣っての命名であることは容易に理解できるが、
長岡京での騒動が原因のひとつとして、
再び
遷都されたため、
新京では悪いことが起こらず、
「平らかで安らかな都」、「平安」(訓読みは「たいら」)であって欲しいという願いも込められたと考えられている。
また平安時代の漢詩文には、
文学上の雅称として「洛陽」「
長安」と呼ぶ例が見られる。
この「洛陽」から後に「洛中」「入洛」「上洛」などの言葉が生まれる。