壱岐国(いきのくに)/ 壱州(いっしゅう)。かつて日本の地方行政区分だった
令制国の一つ。
西海道の一国。
国力区分は
下国、
遠近区分は
遠国。
現在の長崎県壱岐市(壱岐島)。
史料上の初見は、
中国の史書である『
三国志』のいわゆる魏志倭人伝に「一大國」としてある。
『魏略』の逸文、『梁書』、『隋書』では一支國と記述される。
『
先代旧事本紀(国造本紀)』によると、
継体朝に天津水凝の後裔である上毛布直が伊吉嶋造に任じられとされ、
その子孫の壱岐氏が代々嶋造(
国造に相当)を継承した。
古くは壱岐のほか、伊伎、伊吉、伊岐、由紀、由吉など様々に表記され、
「いき」または「ゆき」と読んだ。
令制国としての壱岐国が
7世紀に設けられると、
しだいに壱岐と書いて「いき」と読むことが定着した。
壱岐国は、「島」という行政単位として壱岐島とも呼ばれ、
その国司は島司とも呼ばれた。