小窓
中臣御食子

作成日:2023/2/23

中臣御食子
なかとみのみけこ
時代  飛鳥時代
生没年 不詳
別名  彌気、美気古
官位  冠位十二階の第2で、大徳の下、大仁の上にあたる。">小徳冠
主君  推古天皇舒明天皇
氏族  中臣氏
生年  不詳
父親  中臣可多能祜
母親  那爾毛古娘(山部歌子の娘)
配偶者 智仙姫(大伴咋の娘)
子   藤原鎌足、久太、垂目
 
中臣御食子は、飛鳥時代の貴族。 名は彌気、美気古とも記される。 中臣鎌足の父。 中臣可多能祜の長男。 冠位は小徳冠。 中臣氏第一門の祖。 妻は大伴智仙娘。

西暦628年推古天皇36年)に推古天皇が崩御した際、 蘇我蝦夷や阿倍内麻呂と組して次期天皇に田村皇子(のちの舒明天皇)を推挙し、 事態を収めた。

その他の業績については不明であるが、 西暦644年皇極天皇3年)に息子の鎌足が神祇伯への就任を辞退しているため、 御食子も生前同職に就いていたのではないか、とされている。