ペルシャ戦争は、
紀元前500年から
紀元前449年の約50年にわたる、
アケメネス朝ペルシャ帝国の遠征軍と、
ギリシャの
ポリス連合軍の間におこなわれた戦争。
ギリシャ人植民市の
イオニアの反乱から始まり、
ほぼ4次にわたり争った二者の名前から「ギリシャ・ペルシャ戦争」とも呼ばれる。
ペルシャ軍が陸路・海路からギリシャに
侵攻したが、
アテネ・スパルタなど諸
ポリス連合軍がそれを撃退、
紀元前449年に「カリアスの和約」が批准され、
ペルシャ戦争は正式に終結した。
戦争の経緯を記している資料としては
ヘロドトスの『歴史』がほぼ唯一の資料である。
なお
ヘロドトスの記述については、
プルタルコスが「ヘロドトスの悪意」という文章の中で、
当戦争の歴史的事実が
ヘロドトス個人の悪意に満ちた主観によってひどく歪められてしまった、
と批判した。
イオニアの反乱
小アジア、
現在のトルコ西部・エーゲ海沿岸に位置するイオニア地方には、
早くからギリシャ人の一派であるイオニア人が移り住んでいました。
その後、アケメネス朝ペルシャが勢力を拡大すると、
ミレトスをはじめとしたイオニア人の植民市を支配下に置きます。
イオニア人の植民市は自治こそ認められたものの、
経済活動などの自由は厳しく制限されました。
そこで、ペルシャの専制的な支配に対し、ミレトスを中心とした植民市が反乱を起こします(イオニアの反乱)。
この反乱に対し、
同じギリシャ人のポリスであった
アテネが援軍を送ったことがきっかけとなり、
約50年にわたる戦争へと発展していったのです。