ウマイヤ朝
西暦661年 -
西暦750年
イスラム史上最初の世襲イスラム王朝である。
大食(唐での呼称)、またはカリフ帝国やアラブ帝国と呼ばれる体制の王朝のひとつであり、
イスラム帝国のひとつでもある。
首都は
ダマスカス(
西暦661年-
西暦744年)、
後にハッラーン(
西暦744年-
西暦750年)。
イスラーム教の
預言者ムハンマドと父祖を同じくする
クライシュ族の名門で、
メッカの指導層であったウマイヤ家による世襲王朝である。
第4代正統
カリフであるアリーとの抗争において、
西暦660年、
自ら
カリフを名乗ったシリア総督ムアーウィヤが、
西暦661年のハワーリジュ派によるアリー暗殺の結果、
カリフ位を認めさせて成立した王朝。
首都はシリアの
ダマスカス。
ムアーウィヤの死後、
次代以降の
カリフをウマイヤ家の一族によって世襲したため、
ムアーウィヤ(1世)からマルワーン2世までの14人の
カリフによる王朝を「ウマイヤ朝」と呼ぶ。
西暦750年にアッバース朝によって滅ぼされるが、
ムアーウィヤの後裔のひとりアブド・アッラフマーン1世がイベリア半島に逃れ、
後ウマイヤ朝を建てる。
非
ムスリムだけでなく非
アラブ人の
ムスリムにもズィンミー(庇護民)として人頭税(ジズヤ)と地租(ハラージュ)の納税義務を負わせる一方、
ムスリムの
アラブ人には免税となるアラブ至上主義を敷いた。
また、ディーワーン制や駅伝制の整備、
行政用語の統一やアラブ貨幣鋳造など、
イスラム国家の基盤を築いた。
カリフ位の世襲制をした最初のイスラム王朝であり、
アラブ人で
ムスリムである集団による階級的な異教異民族支配を国家の統治原理とするアラブ帝国である(アラブ・アリストクラシー)。
また、ウマイヤ家がある時期まで
預言者ムハンマドの宣教に抵抗してきたという事実、
また後述のカルバラーの悲劇ゆえに
シーア派からは複雑な感情を持たれているといった事情から、
今日、非アラブを含めた
ムスリム全般の間での評判は必ずしも芳しくない王朝である。