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アラブ・イスラム関連

作成日:2024/2/26

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アラブ人

アラブ人

アラブ人は、 おもにアラビア半島や西アジア、 北アフリカなどのアラブ諸国に居住し、 アラビア語を話し、 アラブ文化を受容している人々。 人種的には単一ではなく、その起源も明らかでない。

7世紀ムハンマド(マホメット)によってイスラム教が開かれ、 中東・北アフリカを中心に勢力を拡大した。

「アラブ」ということばが最初に使われているのは、 紀元前853年のアッシリアの碑文においてである。 シャルマネセル3世に対して反乱を起こした王子たちに、 「アラブ」のギンディブと称する者が1000頭のラクダを与えたと記されている。 紀元前6世紀ぐらいまでのアッシリアやバビロニアの碑文には、 「アラブ」ということばがしばしば使われている。 この「アラブ」は、 アラビア半島北部のシリア砂漠に住む遊牧民のことをさしていると推定される。

当のアラブ人が、自分たちをさして「アラブ」ということばを使い出した記録は、 北アラビアのほうでは、 のちに正統古典アラビア語になった北アラビア語で書かれたナマーラの墓誌に出てくるものがもっとも古い。 南アラビアの古代碑文は年代のはっきりしないものが多いが、 おそらく紀元前末期から紀元後初期のものであろうと推定される。 ここでも「アラブ」は遊牧民をさしている。

もともとアラビア人をアラブと呼ぶが、 日本では誤訳から始まった呼び方で定着した。

カリフ

カリフ(Caliph)/ ハリーファ

カリフあるいはハリーファは、預言者ムハンマド亡き後のイスラーム共同体、 イスラーム国家の指導者、最高権威者の称号である。

原義は「後継者」であり、預言者ムハンマドを代理する者という意味である。

イスラーム共同体の行政を統括し、 信徒にイスラームの義務を遵守させる役割を持つ。 あくまで預言者の代理人に過ぎない存在であるため、 イスラームの教義を左右する宗教的権限やクルアーン(コーラン)を、 独断的に解釈して立法する権限を持たない。 これらは、ウラマーたちの合意によって補われる。

【ウラマー】
イスラム教における知識人あるいは教師のこと。 アラビア語の「知る」の能動分詞「知る者」の複数形である。 通常、集団として扱うため術語として原語、 欧米語、 日本語とも複数形のウラマーを用いる。 日本語ではイスラーム法学者と訳される場合が多い。

スンニ派/スンナ派

スンナ派/スンニ派は、イスラム教(イスラーム)の二大宗派のひとつとされる。 他のひとつはシーア派である。

イスラームの各宗派間では、最大の勢力、多数派を形成する。 西暦2009年のピュー研究所の調査では、 世界のイスラム教徒15億7000万人のうち、 スンナ派の信者は87%から90%を占め、 約14億人ほどの信徒を持つとされる。

第三代正統カリフであるウスマーン・イブン・アッファーンが西暦656年に暗殺されると、 第四代カリフであるアリー・イブン=アビー=ターリブと、 ウスマーンを出したウマイヤ家のムアーウィヤが激しく対立した。 この過程で、預言者の後継者(ハリーファ(カリフ))を誰にするかという問題において、 ムハンマドの従兄弟かつ娘婿であるアリーとその子孫のみがイマームとして後継者の権利を持つと主張した一派がシーア・アリー(「アリーの党派」の意。この党派は後に略されて「シーア」、すなわちシーア派となる))として分離した。

これに対し、大多数のムスリムはムアーウィヤのカリフ就任を認め、 ウマイヤ朝の成立も容認した。この派閥がスンナ派の起源である。 スンナ派はシーア派と異なり、 アブー・バクル、ウマル、ウスマーンのアリーに先立つ三人のカリフをも正統カリフとして認めた。

ヒジュラ暦

ヒジュラ暦(英: Hijri calendar)/ ヒジュラ太陰暦(英: Lunar Hijri calendar)  略:A.H / AH

ヒジュラ暦またはヒジュラ太陰暦は、 主にイスラム教社会で使われている暦法である。 イスラム暦(英: Islamic calendar, Muslim calendar)とも呼ばれる。

太陰暦であって、 閏月を設ける太陰太陽暦とは異なる。 このため、 季節または太陽暦とのズレを、 毎年約11日ずつ、 積み重ねていくこととなる。

ヒジュラ暦は、 ムハンマドと彼に従うムスリムがマッカからマディーナへ移住した出来事をヒジュラ(日本語では聖遷とも呼称される)と呼び、 その年(ユリウス暦622年)を元年とする暦法である。

ヨーロッパでは、ラテン語: anno Hegiraeを略して、A.H.と表記する。 ...

概要

第2代正統代理人ウマル・イブン・ハッターブが、 預言者ムハンマドがマッカからマディーナへ聖遷(ヒジュラ)したユリウス暦622年を「ヒジュラの年」と定めヒジュラ暦元年とする新たな暦を制定した。 なお、ヒジュラがあったとされる正確な日付はユリウス暦622年7月15日(ユリウス通日では1,948,439日)である。

以上の「制定」はクルアーンにおける規定に則ったものであり、 それは次の通りである。
  1. まず、クルアーン(コーラン)の第9章36節抜粋『本当にアッラーの御許で、(1年の)月数は、12か月である。』[2]を以て、「平年の月数が12暦月である」ということが定められた。
  2. 次いで、同37節抜粋『本当に(聖月を)延ばすことは、不信心を増長させ、それで不信者は誤って導かれている。ある年は(聖月を)普通の月とし、(他の年は)聖月とする。』[2]を以て、「閏月の恣意的なタイミングでの挿入によって、聖月を早めたり遅らせたりすること」が禁じられた。すなわち、実質的に「閏年においても、月数を12暦月とすること」が定められた。
  3. 上記の2つの規定によって、その制定された暦法は、閏月を置いて季節ないし太陽暦と合わせる太陰太陽暦(日本の旧暦など)とは異なる、太陰暦(純粋太陰暦)となった。

太陰暦は約29.5日である朔望月を基準としているため、 月には「29日の小の月」と「30日の大の月」とが存在する(月の大小)。 これらがおおむね交互に繰り返され、 ちょうど12暦月分そろったところで1暦年ができる。 そうしてできた1暦年は約354暦日であるから、 毎年約11日ずつ、季節や太陽暦とズレていく。 このように季節を反映しないので、 農事暦や財務暦としては不向きで、 ルーミー暦(ユリウス暦をベースにした暦)などによって補われることもあった。 現代ではイスラーム圏でもグレゴリオ暦が併用されていることが多く、 イラン、アフガニスタンなど、 紀元をヒジュラ暦元年に置く太陽暦であるヒジュラ太陽暦(主にイラン暦と呼称される)を併用する地域もある。

ムスリム

ムスリム(Muslim)/ イスラム教徒

ムスリムとは、「(神に)帰依する者」を意味するアラビア語で、 イスラム教を信仰する人びとを指すアラビア語。
イスラム法の規定によれば,ムスリムは次の5行を義務づけられている。
  1. 信仰告白 (シャハーダ)
  2. 1日5回の礼拝 (サラート)
  3. イスラム暦第9月 (ラマダーン) の断食 (サウム)
  4. 喜捨 (ザカート)
  5. 可能な場合には一生に1度のメッカ巡礼 (ハッジ)。
キリスト教圏ではムハンマド教徒(英: Mohammedan 等)とも呼ばれ、 日本でもかつては一部でこの語を用いた。 女性形はムスリマだが、アラビア語社会以外では基本的には区別しない。 また、中世キリスト教世界では、 イシュマエル人、カルデア人、モーロ人、サラセン人などあたかも民族集団であるかのような名称でも呼ばれた。

ムスリムになるためには、 証人となるムスリムの前で信仰告白(シャハーダ)の手続きを取ることが必要である。 ムスリムは、神(アッラーフ)を常に身近に感じるように、 五行を実践することが建前である。 父親がムスリムであるものは自動的にムスリムとなるとされている。

かつて、イスラム教はキリスト教よりはるかに多様な民族の間で信仰されていた。 しかし、近代以降になって西方のキリスト教会が世界中に布教を行いその分布を広げたため、 イスラム教を信仰する民族は限られるようになった。