インダス文明(Indus Valley civilization) 紀元前2600年 - 紀元前1800年
インダス文明は、
インド・パキスタン・アフガニスタンのインダス川および並行して流れていたとされるガッガル・ハークラー川周辺に栄えた文明であり、
これら各国の
先史文明でもある。
川の名前にちなんでインダス文明、
あるいは、最初に発見された遺跡にちなんでハラッパー文明とも呼ばれる。
狭義のインダス文明は、
紀元前2600年から紀元前1800年の間を指す。
インダス文明の遺跡は、
東西1500km、
南北1800kmに分布し、
遺跡の数は約2600におよぶ。
そのうち発掘調査が行われた遺跡は、2010年時点でインド96、パキスタン47、アフガニスタン4の合計147となっている。
メヘルガル遺跡は、
考古学的にも重要な新石器時代の遺跡(紀元前7000年-紀元前2500年)で、
現在のパキスタン、バローチスターン州に位置する。
南アジアで最初期の農耕(小麦と大麦)と牧畜(牛、羊、山羊)の痕跡がある遺跡である。
ボーラーン峠付近、
インダス川の渓谷の西、
パキスタンの現代の都市クエッタの南東にある。
西暦1974年、
フランス人考古学者 Jean-Francois Jarrige の率いる発掘チームが発見した。
発掘調査は西暦1974年から西暦1986年まで続けられた。
495エーカー (2.00 km2) の領域の北東の角にメヘルガルで最も古い居住地跡があり、
紀元前7000年から紀元前5500年ごろの小さな農村と見られる。
初期のメヘルガルの建物は泥レンガ製で、
穀物を蓄える倉があり、
付近で採掘された銅で道具を作り、
大きな籠は瀝青で補強している。
六条オオムギ、1粒コムギ、2粒コムギ、ナツメ、ナツメヤシを栽培し、
羊、山羊、牛を育てていた。
紀元前5500年から紀元前2600年ごろには、
石器製作、
皮革なめし、
金属加工などの手工業が盛んになっている。
この場所には紀元前2600年ごろまで継続的に人間が住んでいた。
西暦2006年4月、
科学専門誌ネイチャーは in vivo(生体内で)の人間の歯をドリルで治療した世界最古の証拠がメヘルガルで見つかったと発表した。
- メヘルガルI期
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考古学者はメヘルガルの年代をいくつかに分けている。
メヘルガルI期は紀元前7000年から紀元前5500年までを指し、
土器を伴わない新石器時代である。
この地域での初期の農業は半遊牧民が行ったもので、
コムギやオオムギを栽培する傍らでヒツジやヤギやウシを飼っていた。
泥製の住居群は4つの区画に分けられている。
多数の埋葬跡も見つかっており、
副葬品として籠、石器、骨器、ビーズ、腕輪、ペンダントなどがあり、
時折動物の生贄も見つかっている。
一般に男性の方が副葬品が多い。
装飾品としては、
貝殻(海のもの)、石灰岩、トルコ石、ラピスラズリ、砂岩、磨いた銅などが使われており、
女性や動物の原始的な像も見つかっている。
海の貝殻や付近では産出しないラピスラズリ(アフガニスタン北東部で産する)が見つかっていることから、
それらの地域と交流があったことがわかる。
副葬品として石斧が1つ見つかっており、
もっと地表に近いところからも石斧がいくつか見つかっている。
これらの石斧は南アジアでは最古のものである。
西暦2001年、
メヘルガルで見つかった2人の男性の遺体を研究していた考古学者らは、
インダス文明の人々がハラッパー文化の初期から原始的な歯学の知識を持っていたことを発見した。
その後の西暦2006年4月、
ネイチャー誌は in vivo(生体内)で人間の歯をドリルで治療した世界最古の証拠がメヘルガルで見つかったと発表した。
論文の筆者らによると、
その発見により初期農耕文化の中で原始歯学の伝統が育まれたことを示すという。
ここで我々は、
7500年から9000年前のパキスタンの新石器時代の墓地から発見された9体の成人の遺骨において、
11個の臼歯に穴を開けた痕跡があることを説明する。
これらの発見は、
初期農耕文化の中である種の原始歯学の長い伝統が育まれた証拠である。
- メヘルガルII期とIII期
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メヘルガルII期は紀元前5500年から紀元前4800年まで、
メヘルガルIII期は紀元前4800年から紀元前3500年までを指す。
II期は土器を伴う新石器時代、
III期は銅器時代後期である。
様々な生産活動の痕跡が見つかっており、
より高度な技術が使われるようになっていった。
艶のあるファイアンス焼きのビーズが作られるようになり、
テラコッタ製の像は精密化していった。
女性の像は色を塗られ、
様々な髪形で装飾品も身につけた姿になっていった。
II期の2つの屈葬墓は、
遺体を赭土で覆った形で見つかった。
副葬品の量は徐々に少なくなっていき、
特に装身具が少なくなり、
女性の墓の方が副葬品が多くなっていった。
最古の鈕印章はテラコッタと骨から作られており、
幾何学的なデザインとなっている。
テクノロジーとしては、
石と銅でできた条播器、窯、銅を溶かす坩堝などがある。
II期にはさらに遠方と交易していた証拠がある。
特に重要なのはラピスラズリ製のビーズの発見で、
現在のアフガニスタン北東部で産出したものである。
- メヘルガルVII期
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紀元前2600年から紀元前2000年の間のいずれかの時点で、
この集落はほとんど放棄されており、
それはインダス文明が発展の途中段階にあったころである。