西暦1926年、
姫路高等学校教授となるが、
西暦1929年に辞職し、
黒板勝美の要請によって『新訂増補国史大系』(以下国史大系と略記)編纂の事務局長となった。
以後、
黒板をたすけて国史大系の編纂に従事し、
西暦1936年11月に黒板が病で倒れたのちは、
同書編纂の中心的役割を果たした。
国史大系の編纂にあたるまでの丸山は、
考古学や人類学に興味を示していたが、
歴史書の校訂に特別の関心を示していなかったという。
太平洋戦争が激化した西暦1943年(昭和18年)、
文部省古典編修部の嘱託となり、
『日本書紀』の校訂に従事した。
丸山はこの『日本書紀』校訂の組板を国史大系の『日本書紀』にも利用しようとしたという。
たが、
この事業は東京大空襲によって挫折してしまった。
戦後も、
坂本太郎らとともに国史大系の編纂に従事し、
主に戦前から続けていた『日本書紀』の校訂にあたった。
西暦1947年(昭和21年)、
病床にあった黒板勝美が死去した後は、
国史大系編纂の代表となり、
西暦1951年に、
国史大系本『日本書紀』を出版(なお、同書刊行にあたり文部省研究成果刊行補助金をうけた)。
約10年ほど中絶した国史大系の出版がここに復活した。
以後、
西暦1964年まで国史大系の全巻刊行まで、
編纂事業にあたり、
同年、国史大系刊行の功績により国史大系編修会の代表者として朝日文化賞を受賞した。
西暦1972年6月死去。72歳。