陵(みささぎ)は、宮内庁により京都府京都市右京区太秦三尾町にある田邑陵(たむらのみささぎ)に治定されている。宮内庁上の形式は円丘。遺跡名は「太秦三尾古墳」。
中世以降、陵の所在地はまったく不明となっており、江戸時代には天皇の杜古墳(京都市西京区御陵塚ノ越町)が候補とされていた。幕末の谷森善臣の比定に従い、現在宮内庁によって京都市右京区太秦三尾町に陵墓が定められているが、これは横穴式石室を持つ古墳時代後期とみられる円墳であり、平安時代の陵墓としては不適当と考えられている[3]。
また皇居では宮中三殿のひとつ皇霊殿において他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。