日本の第55代天皇 文徳天皇 / 文德天皇(もんとくてんのう)
[在位] 嘉祥3年3月19日(西暦850年5月4日)- 天安2年8月27日(西暦858年10月7日)《紀》
[生没] 天長4年8月(西暦827年)- 天安2年8月27日(西暦858年10月7日)32歳没《紀》
[時代]
平安時代
[先代]
仁明天皇
[次代]
清和天皇
[陵所] 田邑陵(たむらのみささぎ)
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和風諡号] 和風諡号
[
諱] 道康(みちやす)。
[別称] 御陵の在所によって別名を「田邑帝」(田村帝)ともいう。
[父親]
仁明天皇
[母親] 藤原順子(ふじわら の のぶこ)
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皇居] 平安宮
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陵(みささぎ)は、宮内庁により京都府京都市右京区太秦三尾町にある田邑陵(たむらのみささぎ)に治定されている。宮内庁上の形式は円丘。遺跡名は「太秦三尾古墳」。
中世以降、陵の所在地はまったく不明となっており、江戸時代には天皇の杜古墳(京都市西京区御陵塚ノ越町)が候補とされていた。幕末の谷森善臣の比定に従い、現在宮内庁によって京都市右京区太秦三尾町に陵墓が定められているが、これは横穴式石室を持つ古墳時代後期とみられる円墳であり、平安時代の陵墓としては不適当と考えられている[3]。
また皇居では宮中三殿のひとつ皇霊殿において他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。