古代ギリシャの神話的な記述によると、
アルゲアス朝の起源はギリシャの
アルゴスに遡る(アルゲアスの名はこれによる)とされている。
アルゲアス家は、
ペロポネソスにあるアルゴスのテメネス家に連なる家系であることを主張し、
その伝説上の初代は
ヘーラクレースの玄孫(孫の孫)であるテメネスである。
アイガイでの王宮の発掘で、
マノリス・アンドロニコスは、
ドーム状の部屋(これを玉座の間であるとする学者もいる。)の中でこの伝承と関連した碑文を発見している。
これは、
ヘロドトスの『歴史』の記述とも一致しており、
ヘロドトスによると、
テメネスの一族であるガウアネス、
アエロポス、
ペルディッカスの三兄弟はアエルゴからイリュリア、
更に上マケドニアのレバイアという町に逃れ、
そこで王に仕えた。
王は、
ペルディッカスに何かすごいことが起こるという前兆を信じて、
彼らに王の領地から去るように求めた。
三兄弟は、
マケドニア内の別の地でベルミオ山の麓のミダスの園の近くに移った。
彼らはそこを拠点として、
次第にその王国を形成した。
トゥキディデスの『ペロポネソス戦争史』によると、
アルゲアス家は元々はアルゴス出身のテメネス家であり、
高地から下マケドニアに下り、
ピエリアからピエリア人を追い出し、
パイオニアでは
ペラと海へと達するアクシオス川沿いの細長い土地を手に入れた。
彼らはまた、
エドノイ族を追放することでミグドニアを、
エオルダイア人とアルモピア人を追い出すことでエオルダイアとアルモピアをそれぞれ領地に追加した。
当初は、アルゲアス族の支配者であったが、
ピリッポス2世の時代までにその支配を更に拡大し、
上マケドニアの全ての国をマケドニアの支配下に収めた。
アルゲアス朝の最も著名な人物は
ピリッポス2世と
アレクサンドロス3世(大王)であり、
彼らの指導の下で、
マケドニア王国は全ギリシャに対する優越的な地位を確保し、
アケメネス朝を打ち倒し、
エジプトとインドにまで拡大した。
しかし、大王の死後、
王位継承者として残されたのは知的障害者であったピリッポス3世と嬰児アレクサンドロス4世であり、
彼らは名ばかりの王であった。
このため、
後継将軍(ディアドコイ)および残された王族たちは互いに勢力争いを始め、
その過程で後継将軍の一人で大王の異母姉妹テッサロニケと結婚したカッサンドロスによる簒奪を受け、
アルゲアス朝は断絶した。