小窓
豊後国(ぶんごのくに)

作成日:2023/3/13

豊後国(ぶんごのくに) 現在の大分県の大部分。

西海道の一国。
国力区分は上国、 遠近区分は遠国
古くは豊前国(現在の福岡県東部と大分県北部)と合せて「豊国 (とよのくに) 」と称したことが『豊後国風土記』『古事記』にみえる。

『豊後国風土記』には8郡、40郷とある。 国府は大分市古国府。国分寺は大分市国分。 『延喜式』には日田、 大分、 国崎などの8郡、 『和名抄』には 42郷、田 7500町を載せている。

弘安8年(西暦1285年)の『豊後国図田帳』には田 6873町を載せている。
鎌倉時代の初め中原親能が守護となったが、 その子孫大友氏は鎌倉、 室町時代を通じて守護を世襲し、 室町時代後期には豊前国、 筑後国にも勢力を伸ばした。 特に戦国時代の大友宗麟のときは最盛期で、 一時は北九州6国を支配したが、 天正6年(西暦1578年)島津氏に敗れて衰えた。

江戸時代には臼杵(うすき。大分県東部の市。)に稲葉氏、 日出 (ひじ) に木下氏、 佐伯に毛利氏、 森に久留島氏、 府内に松平氏、 岡に中川氏と数藩に分れた。

明治4年(西暦1871年)の廃藩置県後、 各藩は県となり、 西暦1876年大分県に統合された。

赤:豊後国 緑:西海道。(Wikipediaのsvgファイルへリンク)