茅渟王(ちぬのおおきみ/ちぬのみこ)
飛鳥時代の皇族。押坂彦人大兄皇子の王子。母は漢王の妹の大俣王(おおまたのみこ)。異母弟は舒明天皇。
桜井皇子の女の吉備姫王(吉備島皇祖母命)を妃とし、
宝女王(皇極天皇・斉明天皇)と
軽皇子(孝徳天皇)を儲けた。
茅渟皇子、智奴王とも。
系譜記事に名が現われるのみで、事績は全く不明である。
歴史学者の塚口義信は、
『新撰姓氏録』左京皇別に見える
百済王(百済親王)に同一人とする説を出しているが、
確実ではない。
『延喜式』諸陵寮によれば、
片岡葦田墓(かたおかのあしたのはか)に葬られたとされ、
塚口義信は奈良県香芝市の平野塚穴山古墳(方墳・辺18m、国の史跡)をそれに当てている。