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第一次世界大戦

作成日:2024/5/16

第一次世界大戦は、西暦1914年7月28日から西暦1918年(大正7年)11月11日にかけて、 連合国と中央同盟国間で行われた世界規模の戦争である。 (以降、大戦と略称する)

7000万人以上の軍人(うちヨーロッパ人は6000万人)が動員され、 世界史上最大の戦争の一つとなった。 第二次産業革命による技術革新と塹壕戦による戦線の膠着で死亡率が大幅に上昇し、 ジェノサイドの犠牲者を含めた戦闘員900万人以上と非戦闘員700万人以上が死亡した。 史上死亡者数の最も多い戦争の一つである。

戦争が長引いたことで、各地で革命が勃発し、 4つの帝国(ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ロシア帝国)が崩壊した。 終戦後(戦間期)も参戦国の間に対立関係が残り、 その結果21年後の西暦1939年に第二次世界大戦が勃発した。

戦争は全世界の経済大国を巻き込み、 それらを連合国(ロシア帝国、フランス第三共和政、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国の三国協商に基づく)と中央同盟国(主にドイツ帝国とオーストリア=ハンガリー帝国)の両陣営に二分した。 イタリア王国はドイツ帝国およびオーストリア=ハンガリー帝国と三国同盟を締結していたが、 未回収のイタリアを巡ってオーストリアと対立していたため、 英仏とロンドン密約を結んで連合国側で参戦した。

諸国が参戦するにつれて両陣営の同盟関係は拡大されていき、 例えばイギリスと日英同盟を結んでいた大日本帝国は連合国として、 ドイツと同盟を結んでいたオスマン帝国は中央同盟国側について参戦した。 参戦国や戦争に巻き込まれた地域は、 西暦2018年時点の国家に当てはめると約50カ国に達する。

年表

西暦1914年大正3年)
  •   6月28日:大戦の引き金となったサラエボ事件勃発
  •   7月23日:オーストリア=ハンガリー帝国は7月23日にセルビア王国に対して最後通牒を通告
  •   7月24日:オーストリア=ハンガリー帝国の最後通牒をうけてロシア帝国が一部動員を行う(~7月25日)
  •   7月28日:オーストリア=ハンガリー帝国がセルビアに宣戦布告して第一次世界大戦が始まる
  •   7月24日:オーストリア=ハンガリー帝国の最後通牒をうけてロシア帝国が一部動員を行う(~7月25日)
  •   7月30日:ロシア帝国が総動員を発令。ドイツはロシア帝国に最後通牒を突き付けて動員を解除するよう要求
  •   8月  1日:最後通牒を断られたことをうけ、ドイツはロシア帝国に宣戦布告
  •   8月  3日:ドイツがフランスに宣戦布告
  •   8月  4日:ドイツ軍が中立国ベルギーに侵入
  •   〃   :ドイツがベルギーの中立を侵害したため、イギリスがドイツに宣戦布告する
  •   8月12日:イギリスが日本の対ドイツ参戦に同意
  •   8月17日:ドイツ帝国とロシア帝国間の最初期の戦いであるタンネンベルクの戦いが開戦(~9月2日)ドイツ軍がロシア軍を破る
  •   8月23日:イギリスと同盟を結んでいた大日本帝国が、連合国としてドイツに宣戦布告
  •   9月  2日:大日本帝国がドイツ租借地の山東省に上陸
  •   9月  6日:マルヌ会戦が始まる(~9月12日)フランス軍がドイツ軍を破る
  •   9月22日:ドイツ海軍がパペーテを砲撃
  • 11月  3日:タンガの戦いはじまる(~11月5日)
  • 11月11日:オスマン帝国が同盟国側で参戦
  • 11月15日:イギリスが日本艦隊のダーダネルス海峡への派遣を要請(日本は拒絶)
  • 12月24日:クリスマス休戦(~12月26日)
西暦1915年大正4年)
  •   1月19日:ドイツ軍がイギリス本土をツェッペリン飛行船で空爆開始
  •   2月  4日:ドイツ海軍がイギリス周辺を交戦海域に指定して、Uボートによる無制限潜水艦戦が開始される
  •   3月18日:連合国によるダーダネルス海峡進攻作戦(ガリポリの戦い)が失敗
  •   4月22日:ベルギーで行われた第二次イーペル会戦で、ドイツ軍が毒ガス使用。フランス兵15000人が中毒を起こし、その内のおよそ5000人が死亡
  •   4月26日:イタリアが連合国側に参戦する代わりに、南ティロル、ダルマチアなどを得るロンドン密約が結ばれる
  •   5月  7日:イギリス客船ルシタニアが、ドイツのUボートの攻撃を受けて沈没する(ルシタニア号事件)。乗客1198人が死去。その内、米国人が139人
  •   5月23日:イタリアが連合国側で参戦
  •   6月23日:第一次イゾンツォの戦い(~7月7日)
  •   7月18日:第二次イゾンツォの戦い(~8月3日)
  •   7月   :イギリスがフサイン・マクマホン協定を結び、戦後のアラブ独立を約束する
  •   8月30日:ドイツ海軍、Uボート部隊に商船への無警告攻撃を禁止する布告を出す
  • 10月11日:ブルガリアが同盟国側で参戦
  • 10月18日:第三次イゾンツォの戦い(~11月3日)
  • 10月19日:日本が戦後の権益に関する連合国側の秘密協定であるロンドン宣言に加入
  • 11月10日:第四次イゾンツォの戦い(~12月2日)
西暦1916年大正5年)
  •   1月  8日:連合軍がガリポリから撤退開始
  •   1月29日:ツェッペリンがパリを初空爆
  •   2月21日:ヴェルダンの戦い(~12月19日)
  •   3月  9日:第五次イゾンツォの戦い(~3月17日)
  •   5月15日:アジアーゴの戦い(~6月10日)
  •   5月16日:英仏露間でサイクス・ピコ協定を密約(オスマン帝国領分割)
  •   5月31日:ユトランド沖海戦(~6月1日)
  •   6月  4日:ブルシーロフ攻勢開始
  •   6月  5日:ホレイショ・キッチナー英陸相が乗った巡洋艦ハンプシャーがオークニー諸島沖で撃沈、キッチナーを含む643名が戦死
  •   7月  1日:ソンムの戦い(~11月18日)
  •   8月  6日:第六次イゾンツォの戦い(~8月17日)
  •   9月14日:第七次イゾンツォの戦い(~9月17日)
  • 10月10日:第八次イゾンツォの戦い(~10月12日)
  • 11月  1日:第九次イゾンツォの戦い(~11月4日)
  • 12月23日:マグドハバの戦い
西暦1917年大正6年)
  •   1月22日:米大統領ウッドロウ・ウィルソンが「勝利なき平和」を提唱
  •   1月31日:ドイツが無制限潜水艦作戦の開始を発表
  •   2月  1日:ドイツが無制限潜水艦作戦を宣言
  •   2月  3日:米国がドイツと国交断絶
  •   2月  7日:日本海軍が欧州派遣に向け第1・第2特務艦隊を編成
  •   2月10日:寺内内閣が日本艦隊の欧州派遣を閣議決定
  •   2月24日:イルマ殺しが発生。福岡県福岡市で日独戦ドイツ兵捕虜の妻が殺害される
  •   3月11日:日本海軍第2特務艦隊がシンガポールを出発
  •   3月12日:第十次イゾンツォの戦い(~6月8日)
  •   4月  6日:アメリカがドイツに対して宣戦布告
  •   4月17日:(ロシア暦4月4日)ロシアに帰国した レーニンが四月テーゼを発表(戦争を続ける臨時政府をソビエトが全権力を握るべきだと主張)
  •   4月13日:アメリカ海軍の戦艦「ニューメキシコ」が進水
  •   6月10日:オルティガーラ山の戦い(~6月25日)
  •   7月  6日:第一次大戦: ファイサル・イブン・フサインと英軍ロレンス大尉が率いる対オスマン帝国反乱軍がアカバを奪取
  •   8月14日:第一次大戦: 中華民国がドイツに宣戦布告
  •   8月19日:第十一次イゾンツォの戦い(~9月12日)
  • 10月24日:カポレットの戦い(~11月7日)
  • 11月  2日:イギリスがバルフォア宣言を発表(ユダヤ人国家建設を約束することに同意)
  • 11月  8日:(ロシア暦10月26日)ロシア革命: ソビエト政権が平和に関する布告、土地に関する布告を発表
  • 11月20日:カンブレーの戦いはじまる
西暦1918年大正7年)
  •   1月  8日:ウィルソン米大統領が十四か条の平和原則を連邦議会で発表
  •   3月  3日:ソビエト政権とドイツとの間でブレスト=リトフスク条約が締結される
  •   3月  5日:イギリス・フランスなどが対ソ干渉戦争を開始
  •   3月21日:ドイツ軍が西部戦線で大攻勢を行い、パリ砲でパリへの砲撃を開始
  •   4月  5日:日英両軍が居留民保護を理由としてウラジオストクに上陸
  •   7月15日:第二次マルヌ会戦はじまる
  •   8月  2日:日本が英米仏軍と共にシベリア出兵をすることを宣言
  • 10月23日:ヴィットリオ・ヴェネトの戦い(~11月3日)
  • 11月  3日:第一次世界大戦: オーストリアが休戦協定に調印(ヴィラ・ジュスティ休戦協定)
  • 11月11日:連合国とドイツが休戦協定に調印し、第一次世界大戦が終結

サラエボ事件

サラエボ事件は、 西暦1914年6月28日にオーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者であるオーストリア大公フランツ・フェルディナントと妻のゾフィー・ホテクが、 サラエボ(当時オーストリア領、現ボスニア・ヘルツェゴビナ領)を訪問中、 ボスニア系セルビア人の青年ガヴリロ・プリンツィプによって暗殺された事件。 この事件をきっかけとしてオーストリア=ハンガリー帝国はセルビア王国に最後通牒を突きつけ、 第一次世界大戦の勃発につながった。

暗殺を実行したプリンツィプは、 大セルビア主義テロ組織「黒手組」の一員ダニロ・イリッチによって組織された6人の暗殺者グループ(5人のボスニア系セルビア人と1人のボシュニャク人)のうちの1人だった。 暗殺者グループとその支援者、 および暗殺を計画したセルビア軍関係者は逮捕されて裁判にかけられ、 有罪判決を受けたのちに処罰された。 ボスニアで逮捕された者たちは西暦1914年10月にサラエボで裁判にかけられた。 その他の者たちは、 暗殺とは無関係な罪状で西暦1917年にセルビア当局によって起訴されたのちテッサロニキで裁判にかけられ、 そこでは3人のセルビア軍高官に死刑が言い渡された。 そのうちの1人であり、 事件当時セルビア軍諜報部長だったドラグーティン・ディミトリエビッチは、 自らがフランツ・フェルディナントの暗殺を指令したことを裁判中に告白した。

オーストリア最後通牒

オーストリア最後通牒は、 オーストリア=ハンガリー帝国からセルビア王国に出された最後通牒

西暦1914年6月28日のサラエヴォ事件で、 オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が暗殺されたことを受け、 オーストリア=ハンガリー帝国は7月23日にセルビア王国に対して最後通牒を通告し、以下の要求を行った。 セルビア側は要求を受け入れたが(ただこれには異論もある)、 法廷尋問に他国の機関が関係することは主権侵害であるとして、 第5項と第6項を留保した。 その留保を不満としたオーストリア側は7月25日国交断絶に踏み切り、 7月28日に宣戦布告し(この際の電報がセルビアによる申請で西暦2015年にユネスコ記憶遺産に登録)、 第一次世界大戦が開戦した。

第一次世界大戦

交戦勢力

連合国中央同盟国
イギリス帝国
フランス共和国
ロシア帝国
イタリア帝国
大日本帝国
アメリカ合衆国
ドイツ帝国
オーストリア=ハンガリー帝国
オスマン帝国
ブルガリア王国