息長真手王(おきながのまてのおおきみ) 生没年不詳
5世紀から
6世紀頃の日本の皇族。
王女に麻績郎女・
広姫。
麻績郎女は
継体天皇の妃として荳角皇女を産み、
広姫は
敏達天皇の皇后として
押坂彦人大兄皇子・逆登皇女・菟道磯津貝皇女を産んだ。
王女2人が天皇の妃となった以外、さしたる事蹟の記述はない。
娘の一人が「
継体天皇」に嫁ぎ、
もう一人の娘がその孫「
敏達天皇」の皇后・
広姫であるというが、
『
記紀』などによって「
継体」の生年は
西暦450年、
一方「
敏達」の生年は
西暦538年であり、
娘が二人の
大王に輿入れしたとは考えにくい。
伝承が混乱しているのか、
或は記紀の編集者が意図的に系図に手を加えた可能性が強い。