小窓
対馬国(つしまのくに)

作成日:2023/3/13

対馬国(つしまのくに)/ 対州(たいしゅう) 現在の長崎県対馬。

西海道の一国。 国力区分は下国、 遠近区分は遠国
上県郡、下県郡の2郡が置かれた。
上県(かみあがた)郡は伊奈(いな)、久須(くす)、向日(むかい)、三根(みね)、佐護(さご)の5郷。
下県(しもあがた)郡は豆酘(つつ)、鶏知(けち)、賀志(かし)、与良(よら)、玉調(たまつき)の5郷から成った。
大化以前は上県、下県の両国造(くにのみやつこ)の領域であった。

対馬国の初見は、『三国志』魏志倭人伝の對馬國(対馬国)である。 現存する最古の版である紹熙〈しょうき〉本では對海國。
よりポピュラーな版である紹興〈しょうこう〉本では對馬國となっている。
倭人伝の「今、使訳を通ずるところ三十国」のうちの一国。
日本では津島とも書かれたが、 7世紀に律令制の地域区分として対馬国が設けられると、 「対馬」の表記に定まった。

『古事記』の建国神話には、 最初に生まれた島々(「大八洲」)の1つとして「津島」と記されている。
『日本書紀』の国産み神話のなかには「対馬洲」「対馬島」の表記で登場する。
古くからユーラシア大陸との交流があり、 歴史的には朝鮮半島と倭国・倭人・ヤマトをむすぶ交通の要衝であった。

対馬国は律令制下で対馬島とも呼ばれ、 その国司は島司とも呼ばれた。
西暦701年(大宝元年)の大宝律令では「対馬島」と改称され、 のちに再び「対馬国」に復している。

赤:対馬国 緑:西海道。(Wikipediaのsvgファイルへリンク)