小窓
土御門天皇(つちみかどてんのう)

作成日:2020/6/14

土御門天皇は、日本の第83代天皇。
後鳥羽天皇の第一皇子。
北条義時によって、土佐国へ流刑とされた。

  《紀》:日本書紀による記述  《記》:古事記による記述
日本の第83代天皇 土御門天皇(つちみかどてんのう)

[在位] 建久9年1月11日(西暦1198年2月18日)- 承元4年11月25日(西暦1210年12月12日)《紀》
[生没] 建久6年11月1日(西暦1195年12月4日)または
    建久6年12月2日(西暦1196年1月3日)- 寛喜3年10月11日(西暦1231年11月6日)36歳没《紀》
[時代] 鎌倉時代
[先代] 後鳥羽天皇   [次代] 順徳天皇
[陵所] 金原陵(かねがはらのみささぎ)
[追号] 土御門院
[] 為仁(ためひと)   [別称] 土佐院、阿波院
[父親] 後鳥羽天皇
[母親] 母は、源通親の養女(法勝寺執行法印能円の女)承明門院・源在子(みなもと の ありこ/ざいし)。
[中宮] 大炊御門(藤原)麗子(おおいのみかど/おおいみかど れいし)

年譜

天皇の系譜(第77代から第95代)
建久6年(西暦1195年)
11月1日(12月4日) 降誕(説2)
建久6年(西暦1196年)
12月2日(1月3日) 降誕。(説1)
元久2年(西暦1205年)
1月3日(1月24日) 元服
(西暦)
() 
() 
建久9年(西暦1198年)
3月3日(4月10日) 即位礼
(西暦)
() 大嘗祭
寛喜3年(西暦1231年)
10月11日(11月6日) 崩御。於:
(西暦)
() 大喪儀
(西暦)
() 
() 
(西暦)
() 
() 

略歴

建久9年1月11日(1198年2月18日)、父・後鳥羽天皇の譲位により3歳で践祚。立太子はしていなかった。同年3月3日(4月10日)、即位。事実上後鳥羽上皇による院政がしかれていた。しかし、穏和な性格が幕府との関係上心許ないと見た後鳥羽上皇は、退位を迫り、承元4年11月25日(1210年12月12日)、異母弟の順徳天皇に譲位し、同年12月5日(12月22日)、上皇。 京都では、外祖父である源通親が別当として権力を掌握し、鎌倉では正治元年1月13日(1199年2月9日)に源頼朝が亡くなり、事実上北条時政による御家人政治が行われていた。 承久3年(1221年)の承久の乱のおりには、土御門上皇は何も関与していなかったので処罰の対象にはならなかったが、父である後鳥羽院が遠流[1]であるのに自分が京にいるのは忍びないと、自ら申し出て土佐国に流された。後に、より都に近い阿波国に移された。鎌倉幕府も後鳥羽・順徳両上皇とは違って、守護に対して阿波の宮殿を造営させるなどの厚遇振りを見せている。その地は、現在の阿波市御所など諸説あり、特定されていない。 寛喜3年(1231年)10月に出家し、同月崩御。享年37。

諡号・追号・異名

土佐、阿波に流されたことから、土佐院、阿波院の別称がある。

后妃・皇子女

陵・霊廟

陵(みささぎ)は、宮内庁により京都府長岡京市金ヶ原金原寺にある金原陵(かねがはらのみささぎ)に治定されている。宮内庁上の形式は八角丘。 徳島県鳴門市大麻町池谷には土御門天皇を御祭神とする阿波神社があり、境内に火葬塚がある。 皇居では、皇霊殿(宮中三殿の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。また、大阪府三島郡島本町の水無瀬神宮では、祭神として祀られている。


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