伊勢大鹿首(いせのおおかのおびと、いせのおほかのおびと)
伊勢国河曲郡を本拠地とした氏族。
多気郡相可郷を本拠地とする説もあるが、
史料的根拠に乏しい。
- 氏(ウジ):伊勢大鹿『日本書紀』(いせのおおか, いせのおほか)
- 姓(カバネ):首『日本書紀』(おびと)
伊勢大鹿首と王権との結びつきは古く、
河曲郡(現在の鈴鹿市国分町周辺)所在の前方後円墳・寺田山1号墳は、
造営が
4世紀代まで遡るとされる。
また『
延喜式神名帳』には、
河曲郡内の神社として「大鹿三宅神社」の記載があり、
伊勢大鹿首がミヤケの管理者として王権に奉仕していたことを窺わせる。
『
古事記』では、
敏達天皇の妻・小熊子郎女(おぐまこのいらつめ)の出身氏族として名がみえる。
『
日本書紀』には、
敏達天皇の
采女の菟名子(うなこ)は、
伊勢大鹿首小熊の女(むすめ)として名がみえる。
小熊子郎女は
敏達天皇との間に布斗比売命・宝王(糠代比売王)の二女を儲けた。
このうち宝王は異母兄ないし弟の忍坂日子人太子と結婚し、
田村皇子(のちの
舒明天皇)を生んでいる。