江戸時代の儒学者・頼山陽は、 天皇が恒貞親王が度々皇太子を辞退した際には受け付けず、 事件にかこつけてこれを廃して自分の実子を立てたことを厳しく非難している(『日本政記』)。
陵(みささぎ)は、宮内庁により京都府京都市伏見区深草東伊達町にある深草陵(ふかくさのみささぎ)に治定されている。宮内庁上の形式は方形。
これは文久の修復のさいに造られたもので根拠が乏しく、本来の深草陵は同区深草瓦町の善福寺周辺と考えられている。
また皇居では、皇霊殿(宮中三殿の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。