三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)
三内丸山遺跡は、
青森県青森市大字三内字丸山にある、
縄文時代前期中頃から中期末葉(約5900-4200年前)の大規模集落跡。
当時、クリ、クルミなど手入れされた落葉広葉樹林(ナラ林帯)に囲まれた集落で、
現在の沖館川右岸の河岸段丘上に立地する。
西暦1997年3月5日、
国の特別史跡に指定。
西暦2021年7月27日、
国際連合教育科学文化機関(UNESCO)により、
「北海道・北東北の縄文遺跡群」として世界文化遺産に登録された。
遺跡には竪穴建物(竪穴住居)群、
高床建物(高床倉庫)群、
大形竪穴建物のほか、
シンボル的な3層の掘立柱建物が再現されており、
資料や出土品の展示施設「縄文時遊館」もある。
青森県教育庁三内丸山遺跡センターが継続的に発掘調査を行っている。
八甲田山から続く緩やかな丘陵の先端に位置し、
標高は約20メートルで、
遺跡は約40ヘクタールの広大な範囲に広がっている。
集落は住居、墓、捨て場、大型掘立柱建物、掘立柱建物、貯蔵穴、墓・
土壙墓、粘土採掘穴、盛り土、道路などが、計画的に配置されている。
この遺跡は現在の敷地から、
広場を囲むように住居が造られた環状集落であると見られることもあるが、
住居が非同心円状に機能別に配置されているところから見て、
それとは異なる形式であると考えられる。
現在の遺跡の環状構造はかつて野球場建設の際、
その敷地が円形であった跡であり、遺跡とは関係ないものである。
遺跡には、
通常の遺跡でも見られる竪穴建物、
高床倉庫の他に、
大型竪穴建物が10棟以上、
約780軒にもおよぶ建物跡、
さらに祭祀用に使われたと思われる大型掘立柱建物が存在したと想定されている。
また、他の遺跡に比べて土偶の出土が多く、
板のように薄く造られていて板状土偶と呼ばれる。
次の縄文後期や晩期の立体的に体の各部を表現した土偶とは大きく異なっている。
遺跡から出土した栗をDNA鑑定したところ、
それが栽培されていたものであることなども分かった。
多数の堅果類(クリ、クルミ、トチなど)の殻、
さらには一年草のエゴマ、ヒョウタン、ゴボウ、マメなどといった栽培植物も出土した。
三内丸山の人たちは、
自然の恵みの採取活動のみに依存せず、
集落の周辺に堅果類の樹木を多数植栽しており、
一年草を栽培していた可能性も考えられる。
このことを通してこの遺跡の居住者数は数百人と考える事ができる。
1994年(平成6年)9月に青森市で開催された「北のまほろばシンポジュウム」では、
最盛期の縄文時代中期後半には500人の居住者がいたのではないかとの発言があったが、
異論も出た。
それらは縄文時代の文化が従来考えられていたものよりも進んだものであることを示すものであった。
遺跡は他の近くの遺跡に繋がっている可能性が高く、
未だに全容は把握しきれていない。