事故発生日:
西暦1982年6月28日
便名:アエロフロート 8641便(機体記号:CCCP-42529)
機種:ヤコヴレフ Yak-42
死者:乗員8人乗客124人。合計132人全員が死亡
状況:
アエロフロート8641墜落事故は、
西暦1982年6月28日に発生した航空事故である。
プルコヴォ空港発キーウ・ジュリャーヌィ国際空港行きだったアエロフロート8641便が、
ピッチ角のコントロールを失い急降下した。
機体は空中分解し、乗員乗客132人全員が死亡した。
この事故は、Yak-42で発生した初めての事故であり、
ベラルーシ史上最悪の航空事故ともなっている。
...
8641便は搭乗の遅れにより、
定刻より1分遅い
UTC9時01分にプルコヴォ空港を離陸した。
10時45分にボルィースピリ管制の空域に入った。
10時48分01秒、
パイロットは降下の準備を開始したが、
57秒後に緊急着陸の許可を管制官に要求した。
管制官は7,800メートル (
25,600 ft)の
ホールディングパターンを維持するよう指示した。
パイロットは飛行経路を確認したが、
8641便からの交信は以降なかった。
10時51分20秒、
自動操縦により着陸に向けて降下を開始した。
10秒後に突然、
スタビライザーが機首下げ位置の限界である2度を越え、
-1.5Gが生じた。
自動操縦は、スタビライザーを調節し0.6度まで戻した。
しかし、パイロットが機体を水平にするため操縦桿を3秒間引いたため、
自動操縦が解除された。
機体は急降下を始め、
10時51分50秒に俯角が50度に達した。
機体には2Gを越える力が働き、
空中分解し墜落した。
機体の残骸は首都圏から南西12km地点で発見された。
6.5×3.5kmの範囲に残骸は散乱しており、
乗員乗客132人全員が死亡した。
Yak-42のスクリュージャッキの構造に欠陥があり、
疲労亀裂が生じたことが判明した。
原因として、
不適切なメンテナンス及びスタビライザーの制御装置が基準を満たしていなかったことをあげた。
スクリュージャッキの図面にサインをした3人のエンジニアが有罪判決を受けた。
スタビライザーの突発的な動作は構造不良により、
42M5180-42ねじが疲労により破断したことが原因だと述べられた。
この事故を受けて、
Yak-42は全機が設計が修正されるまでの間、運航停止となった。