事故発生日:
西暦1977年11月19日
便名:TAPポルトガル航空 425便(機体記号:CS-TBR)
機種:ボーイング 727-282 Adv
死者:乗員8人乗客156人。合計164人中131人が死亡。
状況:
TAP ポルトガル航空425便墜落事故とは、
西暦1977年11月19日に、
ベルギー・ブリュッセル発ポルトガル・リスボン経由ポルトガル・マデイラ空港(非公式にフンシャル空港とも)行きの定期便、
TAP ポルトガル航空425便がマデイラ空港の滑走路をオーバーランし、
すぐそばの砂浜に墜落・爆発、搭乗していた164人のうち131人が死亡した事故である。
...
事故機はボーイング727-282 Advanced(機体記号CS-TBR)で、
愛称の Sacadura Cabral はポルトガル人の航空の先駆者サカデュラ・カブラル (Sacadura Cabral) にちなんで命名された。
製造番号は20972/1096で1975年1月21日にTAP ポルトガル航空に納入されており、
プラット・アンド・ホイットニーJT8D-17 ターボファンエンジンを3基搭載していた(最大推力は16,000 lbf)。
同機は
西暦1977年9月21日にB整備を終えており、
事故当時の総飛行時間は6,154時間、
総サイクル数は5,204回であった。
13時間15分の運行の後、
11月19日土曜日午後9時48分直前、
727型機の乗員は滑走路全長がわずか1600m(
5,250ft、当時)と難易度が高いマデイラ空港への着陸を試みた。
着陸復行を2回行った後、
ジョアン・ロントラオ機長 (Joao Lontrao) とミゲル・ギマランイス・レアル副操縦士 (Miguel Guimaraes Leal) は再度進入を試み、
着陸が不可能な場合カナリア諸島のグラン・カナリア空港へ
ダイバートするという決断をした。
豪雨や強風で視界が悪い中滑走路24へ最終進入中、
機体は滑走路端から
2,000ftの地点に接地したがハイドロプレーニング現象が発生した。
残りの約
3,000ftを滑走中、
乗員は機体を停止させようと逆噴射やブレーキを最大限使用したが、
対地速度約
43ノット (80 km/h)で滑走路を外れて
200ftの切り立った土手を越え、
すぐそばの橋に激突し砂浜に墜落した。
機体は2つに折れ、爆発・炎上した。
搭乗していた164人(乗客156人、乗員8人)のうち131人(乗客125人、乗員6人)が死亡し、
当時としてはポルトガル史上最悪(死者が最多)の航空事故となった。
西暦2013年時点で、
この事故は
西暦1989年に発生した「
インディペンデント航空1851便墜落事故」に次いで2番目に死者数が多い事故である。
西暦1946年に運航を開始したTAP ポルトガル航空の事故で2桁以上の死者が出たものは、
現在に至るまでこの事故のみである。
事故後、
TAP ポルトガル航空はマデイラ行きの便の機材を727-200型機から、
全長が6m短く座席数は60少ない727-100型機のみに変更した。
この事故を受け当局は滑走路を延長する方法を検討した。
滑走路が下にある砂浜より高いため、
延長はとても難しく費用がかさんだ。
西暦1983年から
西暦1986年にかけ、
滑走路が200m延長された。
14年後の
西暦2000年、
滑走路が再延長された。
西暦2000年の工事により滑走路全長は2,781 m (
9,124 ft)となり、
ボーイング747やエアバスA340などのワイドボディ機の着陸が可能となった。