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航空機事故詳細

作成日:2025/5/5

事故発生日:西暦1971年9月6日
便名:パンインターナショナル 112便(機体記号:D-ALAR)
機種:BAC 1-11 515FB
死者: 乗員6人乗客115人、合計121人(122人?)中22人(21人?)が死亡。
状況:パンインターナショナル112便墜落事故は、 ドイツのハノーファーからハンブルクを経由してスペインのマラガへ向かうチャーター便だった。 ハンブルクでは57人の乗客が搭乗し、搭乗者数は122人となった。 CEST18時18分、 112便はハンブルグ空港滑走路34からの離陸を開始した。 離陸決心速度(V1)到達後、 パイロットはエンジン温度の上昇に気付いたが、離陸は継続された。 1,000フィートへの上昇中、 左エンジンが停止し、続いて右エンジンも停止した。 パイロットはエンジンの再始動を試みたが、推力は回復しなかった。 そのため、パイロットはハンブルク空港から約4.5kmほどにあるE45号線のアウトバーン 7への緊急着陸を決断した。 機長は後のインタビューで、エンジンが低下してから緊急着陸まで42秒しかなかったと話した。 降下率が高かったため着陸時の衝撃が大きく左主脚が破損した。 パイロットはブレーキを掛けて路上に留まろうとしたが、 建設中の陸橋の橋脚に激突してコックピットが機体から分離し、 胴体はそのまま滑って分解し炎上した。 この事故で21人の乗客と1人の乗員が死亡した。 事故後の火災による煙はハンブルクの中心部からでも確認できた。
事故現場には60台の救急車、11台の消防車と警察と軍のヘリコプターが急行した。 また、280以上の警察官も駆けつけ、救助に当たった。 機長と副操縦士は事故を生き延びた。 しかし、副操縦士の女性は1987年5月31日にセスナ サイテーションの墜落事故により死亡した。 ...
ブラウンシュヴァイクの連邦航空局から調査官が現場に派遣され、 機体の残骸はブラウンシュヴァイクに輸送された。 エンジンは解体され、検査が行われた。 調査から、水メタノール噴射装置[註 2]用のタンク5個のうち、 2つに蒸留水ではなくジェット燃料(Jet A-1)で満たされていたと判明した。 このためエンジンがオーバーヒートし停止した。

事故後、キール地方裁判所にて2度の裁判が行われ、 パンインターナショナルの電気技師と整備士にそれぞれ1,500マルクの支払いを命じる判決が出された。