事故発生日:
西暦1970年7月3日
便名:ダン・エア・サービス (Dan-Air Services) 1903便
機種:デ・ハビランド コメット4B
死者:乗員7人乗客105人、合計112人全員死亡。
状況:
イギリスのマンチェスターから
スペインのバルセロナ向かっていたチャーター便が、
着陸アプローチ中に空港から65キロメートル手前の山に激突し爆発炎上した。
事故機の航法装置が故障し、
航路を東に約25キロメートル逸脱していたことに操縦士も管制官も気付かなかったことが事故原因であった。
管制官はレーダースクリーン上の輝点のいずれかが事故機のものか認識していなかったため、
事故機を左旋回させて輝点の動きで見極めようとしたが、
実際には事故機はレーダーの範囲外にありスクリーン上には映っていなかった。
このため管制官は他機の機影を事故機と勘違いして降下を承認。
これを受けて事故機は高度を下げたが、
地表が雲に覆われていたため激突寸前まで危険な降下をしている事に気が付かなかった。
事故後、バルセロナには二次レーダーが導入され、
トランスポンダーを搭載した航空機については機影を取り違えることはなくなった。