状況:
ビアサ897便墜落事故は、
西暦1961年5月30日に発生した航空事故である。
ウンベルト・デルガード空港からサンタマリア空港(アゾレス諸島)へ向かっていたビアサ897便(ダグラス DC-8-53)がポルトガル沖の大西洋に墜落し、
乗員乗客61人全員が死亡した。
事故当時この事故は大型ジェット旅客機による3件目の旅客死亡事故であった。
また、1977年にTAP ポルトガル航空425便墜落事故が発生するまでポルトガル最悪の航空事故であった。
897便はローマを出発し、
マドリード、リスボン、サンタマリア島を経由してカラカスへと向かうチャーター便で、
0時06分にリスボンに到着した。
乗務員の交代とKLMオランダ航空の整備員による同機の点検の後、
897便は滑走路23からの離陸を許可された。
897便は乗員14人・乗客47人(うち子供8人)を乗せて1時15分に小雨の中離陸し、
サンタマリア島へと向かった。
1時18分に雲底が
3,700フィートであることが伝えられ、
897便は周波数をリスボンの管制の周波数に変更した。
1時19分25秒、同機はリスボンの管制にカピラカのLS無線標識を通過し、
FL60(
6,000フィート)まで上昇すると報告した。
その後早口で部分的にしか聞き取れない2文が同機から聞こえ、
897便との交信が途絶えた。
897便はこの最後の交信の間に左にスパイラル・ダイブし、
約20秒で左に90度まで傾きその15秒後に海面に墜落した。
墜落前の15秒間に過剰に右に姿勢が修正されていた。
右に30度傾き、
約25度のピッチ角で機首下げの姿勢で墜落したと推測されている。
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